本論文では、日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」を文化との関わりを中心に対照考察し、日・韓両言語の根本に潜んでいる発想やものの捉え方、そして対人関係及び共同体の意識を明らかにしようとした。「飲·食に関する慣用表現」を研究の対象にした背景は、「飲」と「食」は、人間が命を保つためには一日も欠かせない大切なものであり、「生計を立てる」すなわち、生き続ける為の手段と関わりを持つ表現であるため、その民族の根本的発想を窺うことができるということである。その上、食の文化とも深く関わっているため、その国の歴史を始め文化や風土の影響による特徴を知ることが出来るし、「飲」と「食」とは普通一人で営むことではなく、家族や親しい間柄同士で行うことが多いため、人間関係に関わる考え方や民族独特の共同体意識も知ることができる。 対照研究のための慣用表現は、日本語の場合は、佐藤理史と宮地裕(2006)による「円滑なコミュニケーションのための言語処理基盤に関する基礎研究」の慣用表現を基にし、韓国語の場合は、문금현(1997)などの資料を基にした上、慣用句辞典や国語辞典から慣用表現を補った。収集した日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」の総現れ数は日本語が224例、韓国語が184例であって、日本語の方が韓国語より多く現れた。 考察のカテゴリーとして、一次的に、「飲料部」「主食料部」「副食料部」の三つに大きく分け、二次的に「飲料部」を素材別に「水/물」「茶/차」「酒/술」とにし、そして「主食料部」は「飯/밥」と「餅/떡」、「粥/죽」「そば/국수」とに分類した。「副食料部」は素材が多いため「魚類」「肉類」「野菜·穀類」の三つに分けた。三次的には慣用表現の意味を分析し、「心理に関する表現」「態度·行動に関する表現」「状況·状態に関する表現」の三つに分類し対照考察を行った。四次的には、考察の便宜を図るため、慣用表現を意味によって「日·韓両言語の共通表現」、「日本語のみの表現」、「韓国語のみの表現」とに分けて考察した。下位カテゴリーとして、慣用表現の意味別にまとめ、提示した。さらに備考欄では素材の意味を示した。(ただし、素材の意味がはっきりしない場合は ー で示した) まず、収集した日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」の総数と素材別慣用表現の現れ数、そして順位を【表】で表すと、次のようである。 【表】で分かるように日本語の場合は、「水」と「魚類」そして「茶」と「酒」に関する慣用表現が韓国語よりもっとも多いところが特徴である。また「餅」と「飯」関連慣用表現が韓国語より少なく6位、7位の15例,14例に過ぎないことも特徴と言える。これに対し韓国語の場合は、「야채류」に関する慣用表現が一番多く、「밥」「떡」「죽」関連慣用表現が日本語より多い。ただし、「野菜類」の場合は、日・韓両言語において大差なく、「肉類」は両言語ともに慣用表現が発達していない。 細部の考察として、「飲料部」の日・韓両言語の慣用表現は「態度·行動に関する表現」にもっとも多く用いられている点と素材の表す基本的な意味は「心理に関する表現」から見られる点は共通であった。また、「飲料部」の「水/물」の項目をみると、日本語の「水」は「ありがたいもの」というイメージがあり、慣用表現では「水」は「他人」を表したり、「新しい職場・自分を取り巻く環境」を表している。その反面、韓国語の「물」には「つまらないもの」「ありふれたもの」というイメージがあり、慣用表現では「ばかにする」や「つまらない」という意味によく用いられている。しかし、水の性質(「流れる」「冷たい」「魚の生きる場所」)からの表現は日·韓両言語に共通点が多い。「水も漏らさない/물 샐 틈 없다」「水をかける/찬 물 끼얹다」の「防御と妨害」や「水を得た魚のよう/물 만난 고기」のように「生き生きとした働きぶり」を表す表現などがそれである。素材となる「水/물」の慣用表現のイメージは、日·韓両言語ともに異質感・邪魔・見栄・水商売などのマイナスイメージが強いと言える。相違点は日本語の場合、「水」は「水に慣れる」、「板に水」、「魚心あれば水心」、「水の滴るよう」(環境・流暢・愛情・美貌)などプラス的イメージの表現に多く用いられていることである。また、宗教から生まれた表現の「水を向ける」と「行水」、相撲からの「力水」、そして、水中競技からの「水をあける」など文化の影響を強く受けていることを改めて確認できた。その他、共通表現である「むだづかい」を表す場合、日本語は「湯水」を、韓国語は「水」を用いている。このことは日本は温泉が多く「湯水が豊富」な温泉文化に由来していると言える。また、韓国語の「물」の場合は、「물로 보다」「물 먹다」「물 태우/물 방망이」のように「脆い」水の性質を比喩した表現を用い、「馬鹿にする・やられる・優柔不断」などの意味に用いられることに特徴がある。 「茶/차」の場合、韓国語の「차」はほとんど慣用表現には用いられていないのに対し、日本語の「茶」は慣用表現に多く用いられている。これは日本語の「茶」関連慣用表現の特徴だと言えるだろう。そして「茶」関連慣用表現は、歌舞伎や能の幕間に行われた茶番劇(茶番狂言)などの伝統文化の陰から生まれたため(「お茶を濁す」も茶道ではなく茶番劇からの説がある。)「茶化す」「茶番(狂言)」「茶にする」「茶を挽く」「茶々を入れる」「お茶の子」など、「はぐらかす・ばかにする・暇を持て余す・話のじゃまをする・たやすくできる」を意味するなどマイナスイメージが強い。また、「茶腹も一時」や「番茶も出花」のように慣用表現の意味がプラスであっても「茶」は「たいしたものではない・つまらないもの」の意味を表すマイナスイメージとして用いられている。すなわち、韓国語の「물」のイメージと日本語の「茶」のイメージに似通ったイメージがあることが分かる。 「酒/술」は日本語の場合、「酒」は「茶」とは対照的なイメージを見せている。「酒」は「有りがたいもの」の意味があり、「盃をする」「盃をもらう」「盃を返す」のように儀式化という特徴の表現や「はしご酒」「迎え酒」「下戸」などの単なる比喩としての表現が多い。一方、韓国語の「술」を用いた慣用表現はマイナスイメージが強く、特に「盃を交わす」ことを意味する「수작(酬酌)을 부리다」の場合は日本語の「盃を返す」と動作は似てはいるものの、意味は「陰謀を図る・下手に企む・何かを密かに仕掛ける」の意味で用いられ、マイナスイメージが非常に強いのが特徴である。 「主食類部」の「飯/밥」に関する日・韓両言語の慣用表現の共通点は、「飯/밥」が「仕事」や「生計を立てること」、そして「苦しい境遇」を表すことからも分かるように「状況·状態に関する表現」が発達している。ただし、日本語の場合は「すし詰め」のようにマイナスイメージの表現もみられるが、他人に対する非難の意味はない。また、食文化の違いから「手弁当」と「밥통」の意味のずれが生じる。日本語の「手弁当」は、自分で弁当を作って持参する習慣から、「無報酬で働く・自腹をきる」の意味に転じたと見られる。一方韓国語の「밥통」の場合は「馬鹿」を意味したり、長い間の食糧難で苦しんだ経験から「밥통」「밥그릇」「철밥통」のように「仕事を表す俗語」や「仕事(飯の種)をめぐる争いや終身雇用を皮肉っぽく表す」といった極端的なマイナスイメージにまで派生している。さらに、日本語の「飯」とは違って、韓国語の「(내)밥이다」が「弱くて扱いやすい相手」を意味するところも韓国語の特徴である。 「餅/떡」を用いた表現は、「餅/떡」の元の意味が「めでたいもの、とても大切なもの」であるため、お祝いのための表現が日·韓両言語に発達している。さらに「餅代/떡값」の意味が「ボーナス」や「賄賂」の意味に派生した点と、「棚からぼた餅/굴러들어 온 떡」のように「思いがけない幸運」を意味する表現や「絵に描いた餅/그림의 떡」のように「欲しいけれど手の届かないものや人」を表す表現も共通している。しかし、日本語の「餅」は、「専門家」を表す「餅は餅屋」や美肌を表す「餅肌」などのプラスのイメージを持つ表現が主であるのに対し、韓国語の「떡」は「찰떡궁합」のように一部の表現を除けば「떡 주무르듯 하다」「떡 되다」など、マイナスイメージが非常に強い。その他、日本語の「餅」の場合は、視覚からの比喩が多いが、韓国語の「떡」は「よくくっつく性質」の感覚的で触覚による表現が多いという特徴がある。 「粥/죽」の日・韓両言語の慣用表現をみると、日本語の「粥」は「七草粥」と「小豆粥」のみで、「健康」と「幸せな一年」を祈る意味(正月七日に食べる)に止まっている反面、韓国語の「죽」の場合は「동지팥죽」を除けばほとんど類似点がない。「동지팥죽」の場合、食べる時期こそ日本語の「小豆粥」とは違う(12月22日頃)が、意味は同じである。しかし、韓国語の「죽」には「보리죽」「곤죽」「죽사발」などのように「貧しさ」を表したり、「죽」の形のように「酒に酔いつぶれる様」とか「ひどく殴られて倒れる」のようなマイナス的な意味を強く表している。 日・韓両言語の「年越しそば/국수를 먹다」の場合、「長く、健康で、幸せに」という意味は共通しているし、この意味は中国から伝わったものである。しかし、日本の「年越しそば」は、大みそかの夜、家族が揃って「来年も良い年でありますよう」と祈りを込めて食べるものであるが、韓国語の「국수를 먹다」は、結婚式で新婚の夫婦が「これから長く、幸せでいられますよう」という意味で食べることに違いが見られる。 「副食料部」の中の「魚類に関する慣用表現」を見ると、次のような結果になった。魚類に関する慣用表現の場合、日本語の慣用表現の現れ数は52例で韓国語は21例だった。また、日本語の素材は19種、韓国語は10種で、日本語の方がもっとも豊富(韓国語より約2.5倍)であった。魚類に関する慣用表現の場合、両言語ともに「心理に関する表現」が発達しているが、日本語は特に心理描写、主に教訓的な表現に大いに関わっていた。「魚」と「水」の関係を比喩する表現は、日・韓両言語の共通表現が見られた。日本語の「美味しく貴重な存在」を表す「鯛」も特徴的であるが、より特徴的な素材は「鯉」である。「鯉」は中国の故事の「登竜門」から「力強く、潔い」というイメージが伝わり、日本の「武士道」と結び付いて、「鯉の滝登り」から「鯉のぼり」、そして「まな板の上の鯉」に至っている。「釜中の魚」とは違い、自分が危機に晒されていることを充分承知しながらも、じたばたせず、潔く運命を受け入れ、運命に立ち向かうという意味に転じている。そして、「柳の下に二匹目の泥鰌はおらぬ」のような教訓的な表現や「ごり押し」「鯖を読む」「にべもない」のような魚の捕り方や数え方、性質を単に比喩した表現が多い。「貴重な存在」として日本語は「鯉」と「鯛」、韓国語は「준치」と「숭어」が使われている。その反面、「つまらないもの」に日本語は「泥鰌」「鰯」「さば」が用いられ、韓国語は「망둥이」「미꾸라지」「꼴뚜기」が使われている。韓国語の「魚類」に関する慣用表現の中で「美味しく貴重な存在」としては「준치」と「숭어」が使われているが、普段の生活でのイメージとは結び付かない。韓国語の特徴的素材は「미꾸라지」と「꼴뚜기」である。「미꾸라지」はつるつるした外見から「なかなか捕まらない・よく逃げ回る・ずるくて憎い」という意味がある。日本語の「泥鰌」には「つまらないもの」の意味はあるが、「野田内閣」を「泥鰌内閣」と自称するように韓国語のようなマイナスイメージは見当たらない。このように韓国語の「魚類に関する慣用表現」では「非難」や「批判性」のような強い表現が発達している。 「肉類に関する慣用表現」場合、日・韓両言語ともに発達していない。肉料理が盛んである韓国語の方も慣用表現が九つに止まっている。特に日本は殺生を禁止する仏教の影響と、島国という環境の影響で「魚類」に比べ「肉類」は極段に少ない。韓国語の場合、マイナスのイメージの強い表現が多いが、その強さは日本語よりも極端的で、特に「골탕을 먹다」には「やられた」という強い気持ちの現れで相手への非難性を帯びている。日本語の場合はマイナスイメージの強くない表現がほとんどであるが、「肉類」関連慣用表現からは珍しくマイナスイメージの強い表現が見られる。そのなかでも「鴨だ」と「鴨がネギを背負ってくる」のように、韓国語の「봉」と「밥이다」と意味の似ている表現や「骨までしゃぶる/등골을 빼먹다」のようなマイナスのイメージの強い表現がみられる。 「野菜·穀類に関する慣用表現」は慣用表現の現れ数からみると、日本語40例、韓国語43例で大差ない。ところが、素材の面では、日・韓両言語の共通の素材が8種、日本語のみのものが8種、韓国語のみのものが16種見られように、日本語より韓国語の方が素材が多様であり、豊富であった。特に目立った素材は「豆」と「콩(땅콩)」で、「豆」と「콩」を用いた慣用表現がそれぞれ10例以上見られる。韓国語の特徴は「호박/콩나물」で、「호박」は単独では「ぶす」という意味で使われるが、「호박이 넝쿨 채 들어오다」では「餅/떡」のように「幸運」を表す。一方、「콩나물」は日本語の「すし詰め」や「芋を洗うよう」と類似した意味と「音符」という固有の意味を持っている。また、慣用表現の現れ数は「状況・状態に関する表現〉行動・態度に関する表現〉心理に関する表現」の順であって、「野菜·穀類に関する慣用表現」は野菜類の性質による「状況・状態に関する表現」と多く関わっていた。そして、日本語の方は「ゴマをする」や「瓜二つ」のように目に見える現象をそのまま比喩に使う「視覚中心」の表現が多いのに対し、韓国語はある物事からの感じを比喩にした「感覚中心」の表現が多かった。また、国民の性格を表す表現として、日本語は「火中の栗を拾う」のように「無理を承知で自己犠牲的なこどをする」を表す表現が見られたが、韓国語は、「번갯불에 콩 볶아 먹다」や「남의 제사상에 밤 놔라 대추 놔라 하다」のような「せっかち・おせっかい」を表す表現が多かった。もう一つの特徴として、韓国語の場合は「보릿고개」「보리죽」「목구멍이 포도청」のように長い間苦しんできた食糧難から生まれた表現がいくつもあるのに対し、日本語にはこのような表現は見当たらなかった。日本の場合は海産物を多くお数に使っていたため、慣用表現に使われる野菜や穀類の素材は、韓国語より豊富でなかったようである。その反面、韓国の場合は食糧不足に苦しんだ歴史的背景から貧しさを表す表現が発達したと考えられる。 以上、韓国語の「飲」と「食」に関する慣用表現の特徴の背景として、まず「물」を「ありふれたもの」として認識し、形が定まらないことから「もろい・よわい人」を連想していることがあげられる。また、「밥」に関しては、客のもてなし方はまず「質」より「量」が重要視されていた。これは「膳の足が折れるようにいっぱい料理を出す(상다리가 부러지게 차리다)」という表現からも窺うことができる。いくら美味しいものを出しても量が少なければ、腹を空かせ、礼儀に欠けるとされていたことから「차」のもてなしは発達しなかった。その上、長い間、戦争や飢饉などで苦しんだ歴史の背景により、他人から自分の「밥통」や「밥그릇」を守らなければならなかったことから、「밥그릇 싸움」という表現が生まれたと思われる。自分の「밥그릇」とは違って、「他人」の安定した仕事を妬み、公務員のように「定年が保証される安全な職場」を皮肉っぽく言う「철밥통」という表現を産み出したように「他人」は競争相手だという認識があったようである。このような日本との相違点を産み出した要因として、客に対するもてなし方、それから仏教の衰退や文化生活との接触の機会の有無、食糧難などが挙げられる。 日本語の「飲」と「食」に関する慣用表現の特徴の背景として、自然に湧いてくる温泉の湯とは違い、「水」は「天からの貰い物」すなわち、大事にしなくてはならないものであるという考えが挙げられる。「茶」や「飯」の場合は、家を訪ねてきた客には茶と茶菓子を出すのは当たり前で、食事を共にするのは親しい間柄同士であることを示していた。また、「水」関連慣用表現には宗教の影響が見られるが、特に「副食料部」仏教の教えにより肉料理を好まなくなり、魚や野菜本位の食事を重んじ、仏教などの修業の一貫として茶を飲んだのが、茶道として一般庶民までが茶を楽しむようになった。さらに、江戸時代の250年間の平和な時代を通じ、庶民文化の発達で歌舞伎などの舞台芸術や相撲などに接する機会が多くなっていくと、このような舞台を楽しむために弁当やおにぎりを持参するようになった。その他、近代に入り水泳などの水中競技が盛んになってきたことなども日本語の慣用表現を豊かにし、イメージの決め手となったようである。このように、日本語の「飲·食に関する慣用表現」は、「肉類」や「茶」に関する慣用表現からは、マイナスイメージの表現が多くみられるが、全体的には価値観を含まず事実を単に比喩的に使うということにとどまっているケースが多い。また、韓国語の「飲·食に関する慣用表現」は、ある現象に自分の判断や価値観が投入し、他人を非難したり批判する表現が多くみられる。 以上から日・韓両言語の特徴を簡単にまとめると、日本語の表現は「比喩性․視覚性․教訓性․皮肉性․隠密性」だと言え、韓国語の表現は「拡張性(おおげさ)․感覚(触覚・嗅覚)性․非難性・批評性․皮肉性․露骨性」だと言える。 본 논문에서는, 일한 양국어의 「飮·食관련 관용표현」을 문화적 배경과의 관련성을 중심으로 대조 고찰하였다. 그 결과, 양 국어의「飮·食관련 관용표현」속에 깃든 민족의 정체성과 삶에 대한 인식, 인간관계 및 공동체 의식 그리고 국민성을 이루는 발상의 특징 및 배경 등을 밝힐 수 있었다. 고찰 대상으로는 飮·食관련 관용표현의 ‘飮料部’ ‘主食料部’ ‘副食料部’관련 관용표현으로 하였고, 세부적으로는 飮料部의 대상을「水/물」「茶/차」「酒/술」관련 관용표현, 主食料部의 대상은「飯/밥」「餅/떡」「粥/죽」「そば/국수」관련 관용표현, 副食料部는「魚類」「肉類」「野菜·穀類」관련 관용표현으로 하였으며, 이들 소재와 관용표현의 의미를 중심으로 대조 연구하였다. 수집한 飮·食 관련 관용표현의 전체 숫자는 일본어가 225例, 한국어가 184例로서, 전체적으로는 일본어가 발달해 있는 부분이라 할 수 있다. 특히, 일본어는「水」「茶」「酒」「魚類」관련 관용표현이 한국어 보다 발달하였으며, 한국어는「밥」「떡」「野菜·穀類」「죽」「肉類」관련 관용표현이 일본어 보다 발달하였다. 다만「野菜·穀類」와「肉類」관련 관용표현의 경우에는 일본어와 한국어 사이에는 뚜렷한 차이가 보이지 않는다. 먼저 관용표현의 소재별 발달 양상을 살펴보면, 차 문화와 공연문화, 운동경기 등의 문화적 배경과 전쟁과 가뭄으로 인한 식량난의 유무, 생선요리나 나물요리 등 副食料의 발달 양상에 따라 관용표현의 발달 양상도 상이하게 나타났다. 일본어의 경우에는 상위 부분에 「水」「魚類」「野菜類」「茶」의 순으로 나타나지만, 한국어의 경우에는 「야채류」「물」「밥」「떡」의 순으로 나타났다. 또한 일본어의 「餅」와「飯」의 경우 6, 7위로 나타나고 있다. 이와 같이「飯/밥」「茶/차」「魚類」관련 관용표현에서 수적 양상의 차이가 두드러지고 있다. 한편 일한 양국어의 「飮·食관련 관용표현」을 「심리 관련 표현」「태도·행동 관련 표현」과「상황·상태 관련 표현」으로 분류한 결과에서는 많은 공통점이 나타났다. 즉, 일한 양국어의 飮料部관련 관용표현은「태도·행동 관련 표현」과 가장 관련이 깊었으며, 主食料部관련 관용표현은 「상황·상태 관련 표현」이 발달해 있었다. 다만 副食料部의 경우에는 항목별로 다른 양상을 보였다. 魚類관련 관용표현은 주로「심리 관련 표현」이 발달하였으나, 野菜·穀類관련 표현은「상황·상태 관련 표현」이 발달해 있었다. 특히 일본어의 野菜·穀類관련 관용표현의 경우「심리 관련 표현」이 매우 적었으며(3개에 불과함), 한국어와의 공통표현도 찾아 볼 수 없었다. 이러한 항목별 특징은 소재의 기본 성질과,「찬밥/더운 밥」과 같은 처지의 표현, 물과 물고기의 관계와 물고기의 생태와 심리의 연관성 등의 영향을 받고 있기 때문으로 생각된다. 항목별 특징 중, 먼저 ‘飮料部’관련 관용표현의 특징은 다음과 같다. 첫째,「水/물」관련 관용표현의 경우, 일본어가 53例로서 한국어의 38例보다 관용표현이 풍부하였으며, 일한 양국어 모두 「태도·행동>상황·상태>심리」의 순으로 발달하였다. 따라서 태도·행동 관련표현에서는 물의 차갑고 흐르는 성질에서 <신이남><헛수고><방해>등과 기름과 섞이지 않는 성질에서 <이질적 존재>의 일한 공통표현이 나타나고 있었다.「水/물」관련 관용표현은 「태도·행동」관련 표현이 가장 활발하나, 소재인「水/물」의 기본의미는「심리관련 표현」에서 가장 잘 나타나고 있음을 알 수 있었다. 다만 일본어의「水」는 <소중하며 아껴야 하는 대상>이라는「심리」관련 기본 사상이 바탕이 되어 있으나, 기본의미는 「水入らず/水臭い」의 <타인>과「水に慣れる/水が合わない」의 <환경/직장>이라 할 수 있다. 이에 비하여 한국어의「물」은「물이다」「물수능」「물로 보다」의 <바보>와 <우습고 하찮은 존재>가 기본의미이다. 한편 일본어만의 독특한 표현으로는 종교적 의식에서의「水を向ける」「行水」, 수영 등의 수중 경기에서「水をあける」「水掛け論」, 씨름(相撲)에서「力水」,어업의 발달에서「水揚げ」, 풍부한 온천에서「湯水のように使う」등의 풍토와 문화를 배경으로 한 독특한 발상의 표현이 발달하였으며, 펌프 작동과 관련하여 <유도체, 계기>의「誘い水」가 보였다. 이러한 용법은 한국어의「물」관련 관용표현에서는 보이지 않았다. 한편 한국어의 「물」은 <흔함/공짜>라는 사상이 근저에 나타나고 있다. 따라서 대표적인 이미지는 「돈을 물처럼 쓰다」의 <흔한 것, 하찮은 것>, <타인의 우유부단한 행동을 비판/비난>하거나 수능 등의 시험 난이도가 매우 낮음을 비난하는 등 상대를 만만하게 생각하는 「물로 보다/물에 물 탄 듯 술에 술 탄 듯/물수능」등의 마이너스 이미지의 표현이 발달하였다. 플러스 이미지의 표현인「물이 좋다/물이 오르다/(외국)물 먹다」등에 내포된 의미도 생선이나 야채의 신선도를 나타내는 경우를 제외하면 ‘비꼼’의 의미를 담고 있는 경우가 많다. 따라서 상대 혹은 타인을 비난하거나 비판하고자 할 때 그 강도를 높이고 전달 효과를 높이려는 목적에 사용되는 경우가 많았다. 다만「우물」관련 관용표현에서는 「우물에서 숭늉 찾다」와 같이 <급한 성격>을 나타내는 마이너스 이미지의 표현이 있으나,「한 우물을 파다」의 <끈기/노력/ 인내>와「한 우물의 물을 먹다」의 <공동체 의식>등 플러스 이미지의 표현이 특징적으로 나타나고 있다. 둘째,「茶/차」관련 관용표현의 양상을 살펴보면 다음과 같다. 한국어의「차」관련 표현은「차례」를 비롯하여 3例에 불과 하여 양상을 논할 수는 없으며, 일본어 발상의 특징이 가장 분명히 나타나는 부분이었다. 한편 일본어의 「茶」관련 표현은 전체 23例 중 14例(약 61%)가 「태도·행동」관련 관용표현이며,「茶事」와「茶柱が立つ」를 제외하면 <우스꽝스러움><하찮음><어이없음><얼버무림> 등의 마이너스 이미지의 표현이 발달하였다. 이는 대부분의 「茶」관련 관용표현이「茶番狂言」에서 유래되어 한국어의「물」관련 관용표현과 유사한 의미를 나타내게 된 것이며, 茶道문화의 영향으로 플러스 이미지의 표현이 발달하였으리라는 예상에서 크게 벗어나는 결과였다. 한편 한국어의「차」는 <흔하고 하찮은 존재(다반사)>의 의미를 가지며,「박한 술」보다 못한 존재라는 마이너스 이미지를 가지고 있다. 이는 한국의 ‘상다리가 부러지게 차려내는 한국의 손님 접대 문화’의 영향으로 양이 적은 차 대접이 환영받지 못한 것과 관련이 있다고 생각된다. 셋째,「酒/술」관련 관용표현(일본어 20例, 한국어 9例)도「태도·행동 관련 표현」이 발달하였으며(일본어 68%/한국어 63%), 공통표현으로는 <쓰라린 실패>를 나타내는「苦杯をなめる/고배를 마시다」와「底抜け上戸/술고래」가 보일 뿐이다. 일본어의「酒」관련 표현은 플러스적 이미지가 강하여,「茶」와는 대조적이었다.「やけ酒」등의 마이너스 이미지의 표현도 있으나, <술의 이로움>(「酒は百薬の長」酒は憂いの玉箒」)을 표현하거나, <언약>을 의미하는「盃を返す/盃をもらう/盃をする」등과 같이 술 문화의 의식화(儀式化)를 통한 표현이 특징적으로 나타났다. 한편 한국어의 경우「杯を返す」와 유사한 동작을 표현하는「수작을 부리다」가 <음모를 꾸미다/몰래 나쁜 술수를 쓰다>등의 뜻으로 쓰이는 것과 같이 편안한 자세에서 술잔을 주고받는 술 문화에 의한 발상이 나타났다. 한편 한국어의 경우에는 관용표현의 수는 적으나, 마이너스 이미지가 매우 강한 복합어(「술독에 빠지다」「술고래」「맥주병」등)가 발달하였으며, 「박한 술이 차 한 잔 보다 낫다」와 같이 ‘차’보다 ‘술’을 선호하는 한국인의 손님 접대문화도 나타나고 있었다. 主食料部관련 관용표현의 특징을 살펴보면 다음과 같다. 전반적으로 한국어가 일본어 보다 2배 이상의 관용표현이 보이는 항목이며, 「餅/떡」관련 관용표현을 제외하면 「상황·상태」관련 표현이 가장 발달해 있다. 첫째,「飯/밥」관련 관용표현의 특징을 살펴보면, 「飯/밥」은 <생계> 혹은 <직업>과 <처지>를 의미하며 ‘먹는 것’을 대표하고 있다. 또한 「飯/밥」관련 관용표현에서, 심리표현의 <동지 의식>을 나타내는 「同じ釜の飯を食う/한솥밥을 먹다」, 상황·상태 관련 표현인 <처지/신세>의「冷や飯を食う/찬밥 신세」등과 <생계/직장/보직>의「飯を食う/밥을 먹다」「飯の種/밥줄(밥그릇)」등이 공통되고 있다.「飯の種」가 한국어의「밥줄」과「밥그릇」에 대응되듯, 일본어의「飯」의 의미는 <생계 수단>이라는 사실에 머무르고 있음을 알 수 있다. 일본어의 또 하나의 특징으로는, 배달 음식을 대표하는 초밥과 도시락 문화의 발달에서「鮨詰め」와「手弁当」를 들 수 있다. 이는 초밥이 꽉 차게 담긴 모양을 <만원상태>에 비유하거나, 도시락을 사지 않고 직접 만든 도시락을 지참한다는 뜻에서 <무보수>로 일함을 뜻한다. 이들 표현에서 비난과 비판의 의미를 찾을 수 없다. 이러한「飯」관련 관용표현의 특징에 일본의 식문화의 영향을 볼 수 있다. 한편 한국어「밥」의 의미적 특징은 심리관련 표현인, 상대방을 내가 마음대로 다룰 수 있는 <쉬운 상대>로 보는「(내) 밥이다」와 밥을 많이 먹는 사람을 비하하여 <바보>를 의미하거나 직장을 부정적으로 나타내는「밥통」에서 나타났다. 특히 「밥통」의 경우에는 의미의 파생이 활발하여 ‘자신의 밥그릇은 절대 빼앗길 수 없다’는 절박함에서「밥그릇 싸움」의 <보직(자리) 다툼>, 무슨 일이 있어도 <정년이 보장되는 직장>인 「철밥통」의 부정적인 표현까지 다양하게 파생되고 있으며, 마이너스 이미지가 점차 강해지는 방향으로 파생되었음을 알 수 있다. 또한 최근의 신문기사를 보면 「황금밥통」「은밥통」「플라스틱 밥통」등 직장의 안정성이나 대우의 수준을 나타내는 다양한「밥통」관련 표현들이 나타나고 있었다. 「목구멍이 포도청」과 같이 먹는 것의 절박함과「밥 안 먹어도 배부르다」와 「첫 술에 배부르랴」등 ‘배부름’, ‘입맛’의「입맛 떨어지다/입맛이다」등과 관련된 표현이 많은 것도 일본어에서는 볼 수 없는 특징이라 할 수 있다. 둘째,「餅/떡」관련 관용표현(일본어 15例, 한국어 22例)은 기본적으로「棚からぼた餅/굴러 들어온 떡」와「力餅·鏡餅/돌떡·차례떡」의 <행운/횡재(불로소득)>와 <축하>의 의미를 가지고 있으며, 특히 일본어의 경우 <횡재/행운>의 표현이 4例로 발달해 있다. 공통표현으로는 <횡재>를 나타내는 표현과 <보너스/뇌물>의「餅代/떡값」이 있으며, 일본어 특유의 표현으로는「금강산도 식후경」에 해당되는「花より団子」를 비롯하여,「焼く」와「妬く」의 음을 이용한 <질투>의「焼き餅を焼く」의 「심리관련 표현」이 발달하였다. 또한「餅肌」의 시각적 감각인 ‘희고 매끈한 피부’를 비유한 <예쁜 피부>와, 「餅は餅屋」의 <전문가>와 같은 플러스 이미지가 강하였다. 한국어의「떡」은 ‘잘 붙는 성질’ 혹은 ‘마음껏 주물러 자신의 뜻대로 모양을 만들 수 있다는 발상’이 중시되어 <환상의 콤비>를 나타내는「찰떡궁합」과 「합격 기원 떡」의 플러스적 의미로도 사용되지만, <횡포/전횡>의 마이너스 이미지의 의미로도 파생되어 있다. <매 맞다>의「떡되다」, <불로소득을 노리다>의「떡고물」, <남아돌다>의「떡치다」등의 표현은 타인에 대한 비난의 의미는 없으나, 타인으로부터 받는 부당한 대우, 혹은 타인을 자신의 뜻대로 다루려는 의도 등 일본어에서는 볼 수 없는 마이너스 이미지의 용법이다. 셋째,「粥/죽」의 경우, 일본어의「粥」는「七草粥」「小豆粥」와「동지팥죽」의 <액 막음> <건강기원>등의 기본의미에 머물고 있으나, 한국어의 「죽」은「동지 팥죽」을 제외하면,「보리죽/곤죽/식은 죽먹기/밥이 끓는지 죽이 끓는지 모르다」의 <가난> <엉망> <하찮고 쉬운 것> <무관심>의 마이너스 이미지가 강한 표현으로 파생되어 있다. 넷째,「そば/국수」의 경우, 일한 양국어의 관용표현은 「年越しそば/국수를 먹다」의 한例에 불과 하나, 사용빈도가 높은 표현으로서 <장수(오래)>와 <행복(건강)> 등이 기본의미로 널리 사용되고 있다.「そば」는「寿司」와 함께 일본의 대표적인 배달 음식이지만 관용표현으로는 발달하지 못하였으며, 한국어의 「국수를 먹다」는 오늘날 <장수/건강>이라는 기본 의미는 쇠퇴되어 <결혼하다>의 의미가 널리 사용되고 있다. 다음으로 副食料部관련 일한 양언어의 관용표현을 살펴보면 다음과 같다. 첫째,「魚類」관련 관용표현의 경우, 일본어가 한국어 보다 발달한 부분이며, 일한 양국어 모두「심리관련 표현」이 특히 발달하였다는 특징이 보였다. 이를 관용표현이 가장 많이 나타나는 순서대로 나열해 보면「심리>상황·상태>태도·행동」의 순이며, 태도·행동 관련 표현이 가장 적음을 알 수 있었다. 魚類관련 관용표현의 공통소재는「魚(うお/さかな)/(물)고기·생선」과「どじょう/미꾸라지」의 2종인 반면에 공통되지 않는 일본어만의 소재는 17종, 한국어만의 소재는 8종이었다. 즉, 일본어의 경우 매우 다양한 소재가 魚類관련 관용표현에 사용되고 있음을 알 수 있다. 한편 일본어의「魚(うお/さかな)」에서「うお」는 ‘물고기’의 총칭으로서 관용표현 속에서의 사용 빈도가 매우 높으며, ...
本論文では、日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」を文化との関わりを中心に対照考察し、日・韓両言語の根本に潜んでいる発想やものの捉え方、そして対人関係及び共同体の意識を明らかにしようとした。「飲·食に関する慣用表現」を研究の対象にした背景は、「飲」と「食」は、人間が命を保つためには一日も欠かせない大切なものであり、「生計を立てる」すなわち、生き続ける為の手段と関わりを持つ表現であるため、その民族の根本的発想を窺うことができるということである。その上、食の文化とも深く関わっているため、その国の歴史を始め文化や風土の影響による特徴を知ることが出来るし、「飲」と「食」とは普通一人で営むことではなく、家族や親しい間柄同士で行うことが多いため、人間関係に関わる考え方や民族独特の共同体意識も知ることができる。 対照研究のための慣用表現は、日本語の場合は、佐藤理史と宮地裕(2006)による「円滑なコミュニケーションのための言語処理基盤に関する基礎研究」の慣用表現を基にし、韓国語の場合は、문금현(1997)などの資料を基にした上、慣用句辞典や国語辞典から慣用表現を補った。収集した日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」の総現れ数は日本語が224例、韓国語が184例であって、日本語の方が韓国語より多く現れた。 考察のカテゴリーとして、一次的に、「飲料部」「主食料部」「副食料部」の三つに大きく分け、二次的に「飲料部」を素材別に「水/물」「茶/차」「酒/술」とにし、そして「主食料部」は「飯/밥」と「餅/떡」、「粥/죽」「そば/국수」とに分類した。「副食料部」は素材が多いため「魚類」「肉類」「野菜·穀類」の三つに分けた。三次的には慣用表現の意味を分析し、「心理に関する表現」「態度·行動に関する表現」「状況·状態に関する表現」の三つに分類し対照考察を行った。四次的には、考察の便宜を図るため、慣用表現を意味によって「日·韓両言語の共通表現」、「日本語のみの表現」、「韓国語のみの表現」とに分けて考察した。下位カテゴリーとして、慣用表現の意味別にまとめ、提示した。さらに備考欄では素材の意味を示した。(ただし、素材の意味がはっきりしない場合は ー で示した) まず、収集した日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」の総数と素材別慣用表現の現れ数、そして順位を【表】で表すと、次のようである。 【表】で分かるように日本語の場合は、「水」と「魚類」そして「茶」と「酒」に関する慣用表現が韓国語よりもっとも多いところが特徴である。また「餅」と「飯」関連慣用表現が韓国語より少なく6位、7位の15例,14例に過ぎないことも特徴と言える。これに対し韓国語の場合は、「야채류」に関する慣用表現が一番多く、「밥」「떡」「죽」関連慣用表現が日本語より多い。ただし、「野菜類」の場合は、日・韓両言語において大差なく、「肉類」は両言語ともに慣用表現が発達していない。 細部の考察として、「飲料部」の日・韓両言語の慣用表現は「態度·行動に関する表現」にもっとも多く用いられている点と素材の表す基本的な意味は「心理に関する表現」から見られる点は共通であった。また、「飲料部」の「水/물」の項目をみると、日本語の「水」は「ありがたいもの」というイメージがあり、慣用表現では「水」は「他人」を表したり、「新しい職場・自分を取り巻く環境」を表している。その反面、韓国語の「물」には「つまらないもの」「ありふれたもの」というイメージがあり、慣用表現では「ばかにする」や「つまらない」という意味によく用いられている。しかし、水の性質(「流れる」「冷たい」「魚の生きる場所」)からの表現は日·韓両言語に共通点が多い。「水も漏らさない/물 샐 틈 없다」「水をかける/찬 물 끼얹다」の「防御と妨害」や「水を得た魚のよう/물 만난 고기」のように「生き生きとした働きぶり」を表す表現などがそれである。素材となる「水/물」の慣用表現のイメージは、日·韓両言語ともに異質感・邪魔・見栄・水商売などのマイナスイメージが強いと言える。相違点は日本語の場合、「水」は「水に慣れる」、「板に水」、「魚心あれば水心」、「水の滴るよう」(環境・流暢・愛情・美貌)などプラス的イメージの表現に多く用いられていることである。また、宗教から生まれた表現の「水を向ける」と「行水」、相撲からの「力水」、そして、水中競技からの「水をあける」など文化の影響を強く受けていることを改めて確認できた。その他、共通表現である「むだづかい」を表す場合、日本語は「湯水」を、韓国語は「水」を用いている。このことは日本は温泉が多く「湯水が豊富」な温泉文化に由来していると言える。また、韓国語の「물」の場合は、「물로 보다」「물 먹다」「물 태우/물 방망이」のように「脆い」水の性質を比喩した表現を用い、「馬鹿にする・やられる・優柔不断」などの意味に用いられることに特徴がある。 「茶/차」の場合、韓国語の「차」はほとんど慣用表現には用いられていないのに対し、日本語の「茶」は慣用表現に多く用いられている。これは日本語の「茶」関連慣用表現の特徴だと言えるだろう。そして「茶」関連慣用表現は、歌舞伎や能の幕間に行われた茶番劇(茶番狂言)などの伝統文化の陰から生まれたため(「お茶を濁す」も茶道ではなく茶番劇からの説がある。)「茶化す」「茶番(狂言)」「茶にする」「茶を挽く」「茶々を入れる」「お茶の子」など、「はぐらかす・ばかにする・暇を持て余す・話のじゃまをする・たやすくできる」を意味するなどマイナスイメージが強い。また、「茶腹も一時」や「番茶も出花」のように慣用表現の意味がプラスであっても「茶」は「たいしたものではない・つまらないもの」の意味を表すマイナスイメージとして用いられている。すなわち、韓国語の「물」のイメージと日本語の「茶」のイメージに似通ったイメージがあることが分かる。 「酒/술」は日本語の場合、「酒」は「茶」とは対照的なイメージを見せている。「酒」は「有りがたいもの」の意味があり、「盃をする」「盃をもらう」「盃を返す」のように儀式化という特徴の表現や「はしご酒」「迎え酒」「下戸」などの単なる比喩としての表現が多い。一方、韓国語の「술」を用いた慣用表現はマイナスイメージが強く、特に「盃を交わす」ことを意味する「수작(酬酌)을 부리다」の場合は日本語の「盃を返す」と動作は似てはいるものの、意味は「陰謀を図る・下手に企む・何かを密かに仕掛ける」の意味で用いられ、マイナスイメージが非常に強いのが特徴である。 「主食類部」の「飯/밥」に関する日・韓両言語の慣用表現の共通点は、「飯/밥」が「仕事」や「生計を立てること」、そして「苦しい境遇」を表すことからも分かるように「状況·状態に関する表現」が発達している。ただし、日本語の場合は「すし詰め」のようにマイナスイメージの表現もみられるが、他人に対する非難の意味はない。また、食文化の違いから「手弁当」と「밥통」の意味のずれが生じる。日本語の「手弁当」は、自分で弁当を作って持参する習慣から、「無報酬で働く・自腹をきる」の意味に転じたと見られる。一方韓国語の「밥통」の場合は「馬鹿」を意味したり、長い間の食糧難で苦しんだ経験から「밥통」「밥그릇」「철밥통」のように「仕事を表す俗語」や「仕事(飯の種)をめぐる争いや終身雇用を皮肉っぽく表す」といった極端的なマイナスイメージにまで派生している。さらに、日本語の「飯」とは違って、韓国語の「(내)밥이다」が「弱くて扱いやすい相手」を意味するところも韓国語の特徴である。 「餅/떡」を用いた表現は、「餅/떡」の元の意味が「めでたいもの、とても大切なもの」であるため、お祝いのための表現が日·韓両言語に発達している。さらに「餅代/떡값」の意味が「ボーナス」や「賄賂」の意味に派生した点と、「棚からぼた餅/굴러들어 온 떡」のように「思いがけない幸運」を意味する表現や「絵に描いた餅/그림의 떡」のように「欲しいけれど手の届かないものや人」を表す表現も共通している。しかし、日本語の「餅」は、「専門家」を表す「餅は餅屋」や美肌を表す「餅肌」などのプラスのイメージを持つ表現が主であるのに対し、韓国語の「떡」は「찰떡궁합」のように一部の表現を除けば「떡 주무르듯 하다」「떡 되다」など、マイナスイメージが非常に強い。その他、日本語の「餅」の場合は、視覚からの比喩が多いが、韓国語の「떡」は「よくくっつく性質」の感覚的で触覚による表現が多いという特徴がある。 「粥/죽」の日・韓両言語の慣用表現をみると、日本語の「粥」は「七草粥」と「小豆粥」のみで、「健康」と「幸せな一年」を祈る意味(正月七日に食べる)に止まっている反面、韓国語の「죽」の場合は「동지팥죽」を除けばほとんど類似点がない。「동지팥죽」の場合、食べる時期こそ日本語の「小豆粥」とは違う(12月22日頃)が、意味は同じである。しかし、韓国語の「죽」には「보리죽」「곤죽」「죽사발」などのように「貧しさ」を表したり、「죽」の形のように「酒に酔いつぶれる様」とか「ひどく殴られて倒れる」のようなマイナス的な意味を強く表している。 日・韓両言語の「年越しそば/국수를 먹다」の場合、「長く、健康で、幸せに」という意味は共通しているし、この意味は中国から伝わったものである。しかし、日本の「年越しそば」は、大みそかの夜、家族が揃って「来年も良い年でありますよう」と祈りを込めて食べるものであるが、韓国語の「국수를 먹다」は、結婚式で新婚の夫婦が「これから長く、幸せでいられますよう」という意味で食べることに違いが見られる。 「副食料部」の中の「魚類に関する慣用表現」を見ると、次のような結果になった。魚類に関する慣用表現の場合、日本語の慣用表現の現れ数は52例で韓国語は21例だった。また、日本語の素材は19種、韓国語は10種で、日本語の方がもっとも豊富(韓国語より約2.5倍)であった。魚類に関する慣用表現の場合、両言語ともに「心理に関する表現」が発達しているが、日本語は特に心理描写、主に教訓的な表現に大いに関わっていた。「魚」と「水」の関係を比喩する表現は、日・韓両言語の共通表現が見られた。日本語の「美味しく貴重な存在」を表す「鯛」も特徴的であるが、より特徴的な素材は「鯉」である。「鯉」は中国の故事の「登竜門」から「力強く、潔い」というイメージが伝わり、日本の「武士道」と結び付いて、「鯉の滝登り」から「鯉のぼり」、そして「まな板の上の鯉」に至っている。「釜中の魚」とは違い、自分が危機に晒されていることを充分承知しながらも、じたばたせず、潔く運命を受け入れ、運命に立ち向かうという意味に転じている。そして、「柳の下に二匹目の泥鰌はおらぬ」のような教訓的な表現や「ごり押し」「鯖を読む」「にべもない」のような魚の捕り方や数え方、性質を単に比喩した表現が多い。「貴重な存在」として日本語は「鯉」と「鯛」、韓国語は「준치」と「숭어」が使われている。その反面、「つまらないもの」に日本語は「泥鰌」「鰯」「さば」が用いられ、韓国語は「망둥이」「미꾸라지」「꼴뚜기」が使われている。韓国語の「魚類」に関する慣用表現の中で「美味しく貴重な存在」としては「준치」と「숭어」が使われているが、普段の生活でのイメージとは結び付かない。韓国語の特徴的素材は「미꾸라지」と「꼴뚜기」である。「미꾸라지」はつるつるした外見から「なかなか捕まらない・よく逃げ回る・ずるくて憎い」という意味がある。日本語の「泥鰌」には「つまらないもの」の意味はあるが、「野田内閣」を「泥鰌内閣」と自称するように韓国語のようなマイナスイメージは見当たらない。このように韓国語の「魚類に関する慣用表現」では「非難」や「批判性」のような強い表現が発達している。 「肉類に関する慣用表現」場合、日・韓両言語ともに発達していない。肉料理が盛んである韓国語の方も慣用表現が九つに止まっている。特に日本は殺生を禁止する仏教の影響と、島国という環境の影響で「魚類」に比べ「肉類」は極段に少ない。韓国語の場合、マイナスのイメージの強い表現が多いが、その強さは日本語よりも極端的で、特に「골탕을 먹다」には「やられた」という強い気持ちの現れで相手への非難性を帯びている。日本語の場合はマイナスイメージの強くない表現がほとんどであるが、「肉類」関連慣用表現からは珍しくマイナスイメージの強い表現が見られる。そのなかでも「鴨だ」と「鴨がネギを背負ってくる」のように、韓国語の「봉」と「밥이다」と意味の似ている表現や「骨までしゃぶる/등골을 빼먹다」のようなマイナスのイメージの強い表現がみられる。 「野菜·穀類に関する慣用表現」は慣用表現の現れ数からみると、日本語40例、韓国語43例で大差ない。ところが、素材の面では、日・韓両言語の共通の素材が8種、日本語のみのものが8種、韓国語のみのものが16種見られように、日本語より韓国語の方が素材が多様であり、豊富であった。特に目立った素材は「豆」と「콩(땅콩)」で、「豆」と「콩」を用いた慣用表現がそれぞれ10例以上見られる。韓国語の特徴は「호박/콩나물」で、「호박」は単独では「ぶす」という意味で使われるが、「호박이 넝쿨 채 들어오다」では「餅/떡」のように「幸運」を表す。一方、「콩나물」は日本語の「すし詰め」や「芋を洗うよう」と類似した意味と「音符」という固有の意味を持っている。また、慣用表現の現れ数は「状況・状態に関する表現〉行動・態度に関する表現〉心理に関する表現」の順であって、「野菜·穀類に関する慣用表現」は野菜類の性質による「状況・状態に関する表現」と多く関わっていた。そして、日本語の方は「ゴマをする」や「瓜二つ」のように目に見える現象をそのまま比喩に使う「視覚中心」の表現が多いのに対し、韓国語はある物事からの感じを比喩にした「感覚中心」の表現が多かった。また、国民の性格を表す表現として、日本語は「火中の栗を拾う」のように「無理を承知で自己犠牲的なこどをする」を表す表現が見られたが、韓国語は、「번갯불에 콩 볶아 먹다」や「남의 제사상에 밤 놔라 대추 놔라 하다」のような「せっかち・おせっかい」を表す表現が多かった。もう一つの特徴として、韓国語の場合は「보릿고개」「보리죽」「목구멍이 포도청」のように長い間苦しんできた食糧難から生まれた表現がいくつもあるのに対し、日本語にはこのような表現は見当たらなかった。日本の場合は海産物を多くお数に使っていたため、慣用表現に使われる野菜や穀類の素材は、韓国語より豊富でなかったようである。その反面、韓国の場合は食糧不足に苦しんだ歴史的背景から貧しさを表す表現が発達したと考えられる。 以上、韓国語の「飲」と「食」に関する慣用表現の特徴の背景として、まず「물」を「ありふれたもの」として認識し、形が定まらないことから「もろい・よわい人」を連想していることがあげられる。また、「밥」に関しては、客のもてなし方はまず「質」より「量」が重要視されていた。これは「膳の足が折れるようにいっぱい料理を出す(상다리가 부러지게 차리다)」という表現からも窺うことができる。いくら美味しいものを出しても量が少なければ、腹を空かせ、礼儀に欠けるとされていたことから「차」のもてなしは発達しなかった。その上、長い間、戦争や飢饉などで苦しんだ歴史の背景により、他人から自分の「밥통」や「밥그릇」を守らなければならなかったことから、「밥그릇 싸움」という表現が生まれたと思われる。自分の「밥그릇」とは違って、「他人」の安定した仕事を妬み、公務員のように「定年が保証される安全な職場」を皮肉っぽく言う「철밥통」という表現を産み出したように「他人」は競争相手だという認識があったようである。このような日本との相違点を産み出した要因として、客に対するもてなし方、それから仏教の衰退や文化生活との接触の機会の有無、食糧難などが挙げられる。 日本語の「飲」と「食」に関する慣用表現の特徴の背景として、自然に湧いてくる温泉の湯とは違い、「水」は「天からの貰い物」すなわち、大事にしなくてはならないものであるという考えが挙げられる。「茶」や「飯」の場合は、家を訪ねてきた客には茶と茶菓子を出すのは当たり前で、食事を共にするのは親しい間柄同士であることを示していた。また、「水」関連慣用表現には宗教の影響が見られるが、特に「副食料部」仏教の教えにより肉料理を好まなくなり、魚や野菜本位の食事を重んじ、仏教などの修業の一貫として茶を飲んだのが、茶道として一般庶民までが茶を楽しむようになった。さらに、江戸時代の250年間の平和な時代を通じ、庶民文化の発達で歌舞伎などの舞台芸術や相撲などに接する機会が多くなっていくと、このような舞台を楽しむために弁当やおにぎりを持参するようになった。その他、近代に入り水泳などの水中競技が盛んになってきたことなども日本語の慣用表現を豊かにし、イメージの決め手となったようである。このように、日本語の「飲·食に関する慣用表現」は、「肉類」や「茶」に関する慣用表現からは、マイナスイメージの表現が多くみられるが、全体的には価値観を含まず事実を単に比喩的に使うということにとどまっているケースが多い。また、韓国語の「飲·食に関する慣用表現」は、ある現象に自分の判断や価値観が投入し、他人を非難したり批判する表現が多くみられる。 以上から日・韓両言語の特徴を簡単にまとめると、日本語の表現は「比喩性․視覚性․教訓性․皮肉性․隠密性」だと言え、韓国語の表現は「拡張性(おおげさ)․感覚(触覚・嗅覚)性․非難性・批評性․皮肉性․露骨性」だと言える。 본 논문에서는, 일한 양국어의 「飮·食관련 관용표현」을 문화적 배경과의 관련성을 중심으로 대조 고찰하였다. 그 결과, 양 국어의「飮·食관련 관용표현」속에 깃든 민족의 정체성과 삶에 대한 인식, 인간관계 및 공동체 의식 그리고 국민성을 이루는 발상의 특징 및 배경 등을 밝힐 수 있었다. 고찰 대상으로는 飮·食관련 관용표현의 ‘飮料部’ ‘主食料部’ ‘副食料部’관련 관용표현으로 하였고, 세부적으로는 飮料部의 대상을「水/물」「茶/차」「酒/술」관련 관용표현, 主食料部의 대상은「飯/밥」「餅/떡」「粥/죽」「そば/국수」관련 관용표현, 副食料部는「魚類」「肉類」「野菜·穀類」관련 관용표현으로 하였으며, 이들 소재와 관용표현의 의미를 중심으로 대조 연구하였다. 수집한 飮·食 관련 관용표현의 전체 숫자는 일본어가 225例, 한국어가 184例로서, 전체적으로는 일본어가 발달해 있는 부분이라 할 수 있다. 특히, 일본어는「水」「茶」「酒」「魚類」관련 관용표현이 한국어 보다 발달하였으며, 한국어는「밥」「떡」「野菜·穀類」「죽」「肉類」관련 관용표현이 일본어 보다 발달하였다. 다만「野菜·穀類」와「肉類」관련 관용표현의 경우에는 일본어와 한국어 사이에는 뚜렷한 차이가 보이지 않는다. 먼저 관용표현의 소재별 발달 양상을 살펴보면, 차 문화와 공연문화, 운동경기 등의 문화적 배경과 전쟁과 가뭄으로 인한 식량난의 유무, 생선요리나 나물요리 등 副食料의 발달 양상에 따라 관용표현의 발달 양상도 상이하게 나타났다. 일본어의 경우에는 상위 부분에 「水」「魚類」「野菜類」「茶」의 순으로 나타나지만, 한국어의 경우에는 「야채류」「물」「밥」「떡」의 순으로 나타났다. 또한 일본어의 「餅」와「飯」의 경우 6, 7위로 나타나고 있다. 이와 같이「飯/밥」「茶/차」「魚類」관련 관용표현에서 수적 양상의 차이가 두드러지고 있다. 한편 일한 양국어의 「飮·食관련 관용표현」을 「심리 관련 표현」「태도·행동 관련 표현」과「상황·상태 관련 표현」으로 분류한 결과에서는 많은 공통점이 나타났다. 즉, 일한 양국어의 飮料部관련 관용표현은「태도·행동 관련 표현」과 가장 관련이 깊었으며, 主食料部관련 관용표현은 「상황·상태 관련 표현」이 발달해 있었다. 다만 副食料部의 경우에는 항목별로 다른 양상을 보였다. 魚類관련 관용표현은 주로「심리 관련 표현」이 발달하였으나, 野菜·穀類관련 표현은「상황·상태 관련 표현」이 발달해 있었다. 특히 일본어의 野菜·穀類관련 관용표현의 경우「심리 관련 표현」이 매우 적었으며(3개에 불과함), 한국어와의 공통표현도 찾아 볼 수 없었다. 이러한 항목별 특징은 소재의 기본 성질과,「찬밥/더운 밥」과 같은 처지의 표현, 물과 물고기의 관계와 물고기의 생태와 심리의 연관성 등의 영향을 받고 있기 때문으로 생각된다. 항목별 특징 중, 먼저 ‘飮料部’관련 관용표현의 특징은 다음과 같다. 첫째,「水/물」관련 관용표현의 경우, 일본어가 53例로서 한국어의 38例보다 관용표현이 풍부하였으며, 일한 양국어 모두 「태도·행동>상황·상태>심리」의 순으로 발달하였다. 따라서 태도·행동 관련표현에서는 물의 차갑고 흐르는 성질에서 <신이남><헛수고><방해>등과 기름과 섞이지 않는 성질에서 <이질적 존재>의 일한 공통표현이 나타나고 있었다.「水/물」관련 관용표현은 「태도·행동」관련 표현이 가장 활발하나, 소재인「水/물」의 기본의미는「심리관련 표현」에서 가장 잘 나타나고 있음을 알 수 있었다. 다만 일본어의「水」는 <소중하며 아껴야 하는 대상>이라는「심리」관련 기본 사상이 바탕이 되어 있으나, 기본의미는 「水入らず/水臭い」의 <타인>과「水に慣れる/水が合わない」의 <환경/직장>이라 할 수 있다. 이에 비하여 한국어의「물」은「물이다」「물수능」「물로 보다」의 <바보>와 <우습고 하찮은 존재>가 기본의미이다. 한편 일본어만의 독특한 표현으로는 종교적 의식에서의「水を向ける」「行水」, 수영 등의 수중 경기에서「水をあける」「水掛け論」, 씨름(相撲)에서「力水」,어업의 발달에서「水揚げ」, 풍부한 온천에서「湯水のように使う」등의 풍토와 문화를 배경으로 한 독특한 발상의 표현이 발달하였으며, 펌프 작동과 관련하여 <유도체, 계기>의「誘い水」가 보였다. 이러한 용법은 한국어의「물」관련 관용표현에서는 보이지 않았다. 한편 한국어의 「물」은 <흔함/공짜>라는 사상이 근저에 나타나고 있다. 따라서 대표적인 이미지는 「돈을 물처럼 쓰다」의 <흔한 것, 하찮은 것>, <타인의 우유부단한 행동을 비판/비난>하거나 수능 등의 시험 난이도가 매우 낮음을 비난하는 등 상대를 만만하게 생각하는 「물로 보다/물에 물 탄 듯 술에 술 탄 듯/물수능」등의 마이너스 이미지의 표현이 발달하였다. 플러스 이미지의 표현인「물이 좋다/물이 오르다/(외국)물 먹다」등에 내포된 의미도 생선이나 야채의 신선도를 나타내는 경우를 제외하면 ‘비꼼’의 의미를 담고 있는 경우가 많다. 따라서 상대 혹은 타인을 비난하거나 비판하고자 할 때 그 강도를 높이고 전달 효과를 높이려는 목적에 사용되는 경우가 많았다. 다만「우물」관련 관용표현에서는 「우물에서 숭늉 찾다」와 같이 <급한 성격>을 나타내는 마이너스 이미지의 표현이 있으나,「한 우물을 파다」의 <끈기/노력/ 인내>와「한 우물의 물을 먹다」의 <공동체 의식>등 플러스 이미지의 표현이 특징적으로 나타나고 있다. 둘째,「茶/차」관련 관용표현의 양상을 살펴보면 다음과 같다. 한국어의「차」관련 표현은「차례」를 비롯하여 3例에 불과 하여 양상을 논할 수는 없으며, 일본어 발상의 특징이 가장 분명히 나타나는 부분이었다. 한편 일본어의 「茶」관련 표현은 전체 23例 중 14例(약 61%)가 「태도·행동」관련 관용표현이며,「茶事」와「茶柱が立つ」를 제외하면 <우스꽝스러움><하찮음><어이없음><얼버무림> 등의 마이너스 이미지의 표현이 발달하였다. 이는 대부분의 「茶」관련 관용표현이「茶番狂言」에서 유래되어 한국어의「물」관련 관용표현과 유사한 의미를 나타내게 된 것이며, 茶道문화의 영향으로 플러스 이미지의 표현이 발달하였으리라는 예상에서 크게 벗어나는 결과였다. 한편 한국어의「차」는 <흔하고 하찮은 존재(다반사)>의 의미를 가지며,「박한 술」보다 못한 존재라는 마이너스 이미지를 가지고 있다. 이는 한국의 ‘상다리가 부러지게 차려내는 한국의 손님 접대 문화’의 영향으로 양이 적은 차 대접이 환영받지 못한 것과 관련이 있다고 생각된다. 셋째,「酒/술」관련 관용표현(일본어 20例, 한국어 9例)도「태도·행동 관련 표현」이 발달하였으며(일본어 68%/한국어 63%), 공통표현으로는 <쓰라린 실패>를 나타내는「苦杯をなめる/고배를 마시다」와「底抜け上戸/술고래」가 보일 뿐이다. 일본어의「酒」관련 표현은 플러스적 이미지가 강하여,「茶」와는 대조적이었다.「やけ酒」등의 마이너스 이미지의 표현도 있으나, <술의 이로움>(「酒は百薬の長」酒は憂いの玉箒」)을 표현하거나, <언약>을 의미하는「盃を返す/盃をもらう/盃をする」등과 같이 술 문화의 의식화(儀式化)를 통한 표현이 특징적으로 나타났다. 한편 한국어의 경우「杯を返す」와 유사한 동작을 표현하는「수작을 부리다」가 <음모를 꾸미다/몰래 나쁜 술수를 쓰다>등의 뜻으로 쓰이는 것과 같이 편안한 자세에서 술잔을 주고받는 술 문화에 의한 발상이 나타났다. 한편 한국어의 경우에는 관용표현의 수는 적으나, 마이너스 이미지가 매우 강한 복합어(「술독에 빠지다」「술고래」「맥주병」등)가 발달하였으며, 「박한 술이 차 한 잔 보다 낫다」와 같이 ‘차’보다 ‘술’을 선호하는 한국인의 손님 접대문화도 나타나고 있었다. 主食料部관련 관용표현의 특징을 살펴보면 다음과 같다. 전반적으로 한국어가 일본어 보다 2배 이상의 관용표현이 보이는 항목이며, 「餅/떡」관련 관용표현을 제외하면 「상황·상태」관련 표현이 가장 발달해 있다. 첫째,「飯/밥」관련 관용표현의 특징을 살펴보면, 「飯/밥」은 <생계> 혹은 <직업>과 <처지>를 의미하며 ‘먹는 것’을 대표하고 있다. 또한 「飯/밥」관련 관용표현에서, 심리표현의 <동지 의식>을 나타내는 「同じ釜の飯を食う/한솥밥을 먹다」, 상황·상태 관련 표현인 <처지/신세>의「冷や飯を食う/찬밥 신세」등과 <생계/직장/보직>의「飯を食う/밥을 먹다」「飯の種/밥줄(밥그릇)」등이 공통되고 있다.「飯の種」가 한국어의「밥줄」과「밥그릇」에 대응되듯, 일본어의「飯」의 의미는 <생계 수단>이라는 사실에 머무르고 있음을 알 수 있다. 일본어의 또 하나의 특징으로는, 배달 음식을 대표하는 초밥과 도시락 문화의 발달에서「鮨詰め」와「手弁当」를 들 수 있다. 이는 초밥이 꽉 차게 담긴 모양을 <만원상태>에 비유하거나, 도시락을 사지 않고 직접 만든 도시락을 지참한다는 뜻에서 <무보수>로 일함을 뜻한다. 이들 표현에서 비난과 비판의 의미를 찾을 수 없다. 이러한「飯」관련 관용표현의 특징에 일본의 식문화의 영향을 볼 수 있다. 한편 한국어「밥」의 의미적 특징은 심리관련 표현인, 상대방을 내가 마음대로 다룰 수 있는 <쉬운 상대>로 보는「(내) 밥이다」와 밥을 많이 먹는 사람을 비하하여 <바보>를 의미하거나 직장을 부정적으로 나타내는「밥통」에서 나타났다. 특히 「밥통」의 경우에는 의미의 파생이 활발하여 ‘자신의 밥그릇은 절대 빼앗길 수 없다’는 절박함에서「밥그릇 싸움」의 <보직(자리) 다툼>, 무슨 일이 있어도 <정년이 보장되는 직장>인 「철밥통」의 부정적인 표현까지 다양하게 파생되고 있으며, 마이너스 이미지가 점차 강해지는 방향으로 파생되었음을 알 수 있다. 또한 최근의 신문기사를 보면 「황금밥통」「은밥통」「플라스틱 밥통」등 직장의 안정성이나 대우의 수준을 나타내는 다양한「밥통」관련 표현들이 나타나고 있었다. 「목구멍이 포도청」과 같이 먹는 것의 절박함과「밥 안 먹어도 배부르다」와 「첫 술에 배부르랴」등 ‘배부름’, ‘입맛’의「입맛 떨어지다/입맛이다」등과 관련된 표현이 많은 것도 일본어에서는 볼 수 없는 특징이라 할 수 있다. 둘째,「餅/떡」관련 관용표현(일본어 15例, 한국어 22例)은 기본적으로「棚からぼた餅/굴러 들어온 떡」와「力餅·鏡餅/돌떡·차례떡」의 <행운/횡재(불로소득)>와 <축하>의 의미를 가지고 있으며, 특히 일본어의 경우 <횡재/행운>의 표현이 4例로 발달해 있다. 공통표현으로는 <횡재>를 나타내는 표현과 <보너스/뇌물>의「餅代/떡값」이 있으며, 일본어 특유의 표현으로는「금강산도 식후경」에 해당되는「花より団子」를 비롯하여,「焼く」와「妬く」의 음을 이용한 <질투>의「焼き餅を焼く」의 「심리관련 표현」이 발달하였다. 또한「餅肌」의 시각적 감각인 ‘희고 매끈한 피부’를 비유한 <예쁜 피부>와, 「餅は餅屋」의 <전문가>와 같은 플러스 이미지가 강하였다. 한국어의「떡」은 ‘잘 붙는 성질’ 혹은 ‘마음껏 주물러 자신의 뜻대로 모양을 만들 수 있다는 발상’이 중시되어 <환상의 콤비>를 나타내는「찰떡궁합」과 「합격 기원 떡」의 플러스적 의미로도 사용되지만, <횡포/전횡>의 마이너스 이미지의 의미로도 파생되어 있다. <매 맞다>의「떡되다」, <불로소득을 노리다>의「떡고물」, <남아돌다>의「떡치다」등의 표현은 타인에 대한 비난의 의미는 없으나, 타인으로부터 받는 부당한 대우, 혹은 타인을 자신의 뜻대로 다루려는 의도 등 일본어에서는 볼 수 없는 마이너스 이미지의 용법이다. 셋째,「粥/죽」의 경우, 일본어의「粥」는「七草粥」「小豆粥」와「동지팥죽」의 <액 막음> <건강기원>등의 기본의미에 머물고 있으나, 한국어의 「죽」은「동지 팥죽」을 제외하면,「보리죽/곤죽/식은 죽먹기/밥이 끓는지 죽이 끓는지 모르다」의 <가난> <엉망> <하찮고 쉬운 것> <무관심>의 마이너스 이미지가 강한 표현으로 파생되어 있다. 넷째,「そば/국수」의 경우, 일한 양국어의 관용표현은 「年越しそば/국수를 먹다」의 한例에 불과 하나, 사용빈도가 높은 표현으로서 <장수(오래)>와 <행복(건강)> 등이 기본의미로 널리 사용되고 있다.「そば」는「寿司」와 함께 일본의 대표적인 배달 음식이지만 관용표현으로는 발달하지 못하였으며, 한국어의 「국수를 먹다」는 오늘날 <장수/건강>이라는 기본 의미는 쇠퇴되어 <결혼하다>의 의미가 널리 사용되고 있다. 다음으로 副食料部관련 일한 양언어의 관용표현을 살펴보면 다음과 같다. 첫째,「魚類」관련 관용표현의 경우, 일본어가 한국어 보다 발달한 부분이며, 일한 양국어 모두「심리관련 표현」이 특히 발달하였다는 특징이 보였다. 이를 관용표현이 가장 많이 나타나는 순서대로 나열해 보면「심리>상황·상태>태도·행동」의 순이며, 태도·행동 관련 표현이 가장 적음을 알 수 있었다. 魚類관련 관용표현의 공통소재는「魚(うお/さかな)/(물)고기·생선」과「どじょう/미꾸라지」의 2종인 반면에 공통되지 않는 일본어만의 소재는 17종, 한국어만의 소재는 8종이었다. 즉, 일본어의 경우 매우 다양한 소재가 魚類관련 관용표현에 사용되고 있음을 알 수 있다. 한편 일본어의「魚(うお/さかな)」에서「うお」는 ‘물고기’의 총칭으로서 관용표현 속에서의 사용 빈도가 매우 높으며, 식재료의 의미인「さかな」는 <잡고 싶은 대상>인 경우에 주로 사용되고 있다. 한국어의「물고기」는 ‘잡는 행위와 관련되어 있는 표현에서는 주로 「고기」의 형태로 사용되며, 요리의 재료인 경우에는「생선」으로 사용되고 있었다. 또한 일본어의 경우, 실생활에서 즐겨 먹는 음식이나 생선의 이름이 많이 등장하고 있음에 비하여 한국어의 경우에는 음식 혹은 음식재료로서의 선호도와 관용표현의 소재 사이에서 연관성을 찾기는 어려웠다. 한편 일본어의 발상의 특징을 가장 잘 보여주는 생선으로는「鯉」를 들 수 있다. 「鯉」는 <힘참> <기개> <상승>과 <위기 상황에서의 의연함>을 나타내며,「鯛」는 <최고의 맛> <귀한 존재> <갖고 싶은 존재>이며,「鰻」는 <맛있는 존재> <힘참> <상승>으로 플러스적 의미를 가진다.「魚」는 ‘가지고 싶은 대상’ ‘놓쳐서 아쉬운 대상’ 혹은 ‘속수무책 무기력한 존재’의 표현에 주로 사용되고 있다. 여기서 가장 특징적인 것은「鯉」로서 중국 고사의「登竜門」에서 유래된 「鯉の滝登り」에서「鯉のぼり」로 이어지면서「鯉」의 ‘힘차고 기개 넘치는 존재’의 이미지가 형성되었다. 이와 관련되어 「俎上の魚」가「まな板の上の鯉」로 소재가 바뀌면서, <절체절명의 위기 앞에서도 허둥대지 않는 의연함>의 의미로 전환되고 ‘무사도 정신’과도 결부된 표현이 되었다. 한편 <하찮은 존재>에는「鰯」「泥鰌」「鯖」등이 있으나, 「泥鰌」와「鯖」는 <가지고 싶은 대상> <맛있는 존재>의 의미도 가지며, 삶의 자세에 대한 교훈적인 의미를 내포한 관용표현에 사용되고 있다. 한국어의 魚類관련 관용표현에도「준치/숭어」등 훌륭한 것에 비유되는 생선이 있으나, 실생활에서의 이미지로는 연결되지 않았으며, 고유의 이미지가 있는 경우에도 <얄미운 존재>의「미꾸라지」와 <부끄러운 존재>의「꼴뚜기」와 같이 타인의 행동을 비하하거나, 상대방을 비난하는 마이너스 이미지의 표현이 나타났다. 일본어의「泥鰌」에는,「野田内閣」를「泥鰌内閣」라고 하듯이 오히려 가라앉아 있는 현 상황을 휘젓는 <개혁>이라는 플러스 이미지의 용법이 나타나고 있다. 둘째, 肉類관련 관용표현의 경우, 대표적인 소재는「鴨」와「꿩」,여기에 한국어는「골탕」「갈비」등이 더해지고 있으며, 일본어의 경우 드물게 「骨までしゃぶる/등골 빼 먹다」와 같은 강한 마이너스 의미지를 가지는 표현이 나타나고 있었다. 「鴨」는 한국어의「내 밥」이나 「봉」의 의미를 가지며, 「鴨がネギを背負ってくる」와 같이 <횡재/행운>의 표현에도 사용된다. 한국어의 「꿩」은「鴨」와 같은 마이너스 이미지가 없으며, 「꿩 먹고 알 먹고」와 같이 <일거양득> <횡재>를 의미한다. 한편 일본어의「卵」는 <수련생/초보/수련의>의 의미를 가지며, 한국어의「계란」은 <무력한 존재>, 「骨/등골」은 <마지막 남은 능력/재력>을 의미한다. <처치 곤란한 존재>의 「鶏肋」은 한국어의 「계륵」과 동일하나(중국고사 유래) 일본어에서는 거의 사용되고 있지 않는 표현이다. 한편 ‘육류’관련 한국어 표현에는,「골탕을 먹다」라는 마이너스 이미지가 강한 표현이 보였다. 「곯다」와「골탕」의 발음의 유사성에서 유래되었으며 ‘타인의 조치에 대한 원망’이 내포되어 있다. 셋째, 野菜·穀類관련 관용표현은 일본어보다 한국어에서 관용표현과 소재가 풍부하게 나타나는 부분이다. 이는 나물요리가 발달한 한국의 식문화와 관련이 있을 것으로 생각된다. 한편 일한 양국어의 특징적인 소재는 「豆/콩」이다. 일본어의「豆」는 <작음/ 꼬마>라는 기본 의미에 머물고 있으며,「豆知識」의 경우와 같이 <작지만 알아두면 유익한 것> 혹은 「豆本」의 <작고 들고 다니기 편리함>의 의미에는 작은 것에 대한 부정적 시각이 느껴지지 않는다. 한편 한국어의 「콩/콩알」에는 <작음을 비웃음>의 의미가 있으나,「땅콩」의 경우에는 <작고 야무짐/두 개가 붙어 있어 작지만 실용적>이라는 플러스적 이미지가 나타났다. 일본어의「牛蒡抜き」는 ‘달리기’ 등에서 <앞지르기>를 의미하며,「牛蒡」가 뿌리가 얕아 <빼기 쉬운 상대>를 의미한다. <작고 야무진 존재>을 나타내는 표현에 일본어는「山椒」, 반대의 의미로는「大根」이 사용되고 있다. 한편 한국어의 경우 <작고 야무진 존재>에「고추」와「땅콩」이 사용되고 있으나 반대의 의미를 나타내는 소재는 보이지 않았다. 또한 「콩나물」은「すし詰め」와 같이 <빽빽하여 꼼짝할 수 없는 상태>를 나타내거나 <악보>를 의미하나, 이와 달리 일본어의 「もやし(숙주)」는 <영양 결핍으로 삐쩍 마른 아이>를 의미하여 일한 양국어의 발상의 차이를 엿볼 수 있다. 이외에도 한국어의 경우에는 「호박」과 같이 <못 생긴 여자> 혹은 <횡재>의 의미 등, 고유의 이미지를 가지는 ‘야채·곡류’관련 소재가 있으나, 「豆」를 제외한 일본어의 경우에는 소재의 고정된 이미지가 거의 보이지 않았다. 이상의 「飮·食관련 관용표현」의 의미 양상을 정리하면 다음과 같다. 첫째, 일본어는 「水」「茶」「魚類」관련 관용표현이 한국어보다 발달하였으나, 한국어는「밥」「떡」「죽」「野菜·穀類」관련 관용표현이 발달하였다. 둘째, 일본어는「茶」관련 표현을 제외하면 가치관이 개입되지 않은 단순 비유가 많으나, 한국어는 ‘비난·비판적’ 가치관이 개입된 표현이 주를 이루었다. 셋째, 일본어는「牛蒡抜き」「手弁當」와 같이 사실 묘사적이거나「柳の下に二匹目の泥鰌はおらぬ」와 같이 교훈성이 강하나, 한국어는「번갯불에 콩 볶아 먹다」「철밥통」과 같이 과장, 확대의 경향이 강하며, 마이너스 이미지의 확장성이 그 특징이라 할 수 있다(밥, 떡, 물 등). 따라서 한국어에서는 「飮·食관련 관용표현」을 사용하여 ‘비난·비판’의 의미를 최대한 강하고 인상 깊게 전달할 목적으로 신문 기사의 제목 등에서 흔히 사용되고 있었다. 넷째, 일본어 표현은 「瓜二つ・ゴマをする」와 같이 시각 중심적인 표현이 발달하였음에 비하여, 한국어는「깨소금 냄새가 나다」「굳은 땅에 물이 괴다」등과 같이 촉감, 후각 중심적 표현이 발달하였다. 다섯 번째, 일본어의 비유는 규모가 작고 은밀하나, 한국어는 규모가 크고 직선적이다. 예를 들면, 「猫に鰹節」의 경우 고양이에게 고양이가 좋아하지만 그다지 비싸거나 크지 않은「鰹節」를 맡기지만, 한국어에서는 ‘고양이에게 생선 가게’를 통째로 맡긴다는 비유를 사용하고 있다. 또한 며느리 괴롭히기(嫁いびり)의 경우에도, 일본어에서는 은밀하게 「秋鯖嫁に食わすな」정도로 싫은 감정을 노골적으로 나타내지 않는 경향이 보이나, 한국어에서는「집 나간 며느리」라는 표현에서 알 수 있듯이 며느리 구박이 노골적이었음을 알 수 있다. 여섯째, 한국어에는「보리 고개」「보리죽」「목구멍이 포도청」「가뭄에 콩 나듯」「입맛이다」등과 같이 오랜 기간의 식량난에서 생겨난 <가난>을 의미하거나 <먹는 것의 절대성>에 관한 표현이 많음에 비해, 일본어에는 먹는 것에 대한 집착의 표현은 보이지 않는다. 일곱째, 일본어의 경우 생선 요리의 발달과 더불어 魚類관련 표현이 발달하였으나, 육류요리가 발달한 한국어에서는 魚類관련 표현과 肉類관련 표현이 모두 발달하지 않았으며, 나물요리의 발달에서 野菜·穀類관련 관용표현은 풍부하였다. 여덟째, 일본어의 경우「歌舞伎, 茶道, 相撲, 武士道, 節句등의 年中行事」등 문화적 요소가 飮·食관련 관용표현에 반영되어 있으나, 한국어의 경우에는 계절적인 요소는 반영되어 있으나 주로 생계나 생활관련 표현이 주를 이루고 있다. 아홉째, 「花より団子/금강산도 식후경」「鮨詰め/콩나물 시루」「他人の飯は白い/남의 떡이 커 보인다」「塩辛を食おうとして水を飲む·捕らぬ狸の皮算用·沖のハマチ/남은 떡 줄 생각을 하지 않는데 김치 국물부터 마신다」「萌やしっ子/갈비」등과 같이 식문화의 차이에 의해 유사한 의미를 나타내는 경우에도 사용되는 소재는 달라지는 경우가 많다. 열 번째, 「まな板の上の鯉/도마 위의 생선」나 「水火を辞さない/물불 가리지 않다」등과 같이 표현의 형식이 흡사하나 양국어를 둘러싼 문화와 발상의 차이에 의해 의미가 달라지는 경우가 있다. 이와 같은 상이점의 요인으로, 오랜 역사와 풍토를 비롯하여 상차림 문화의 차이와 서민이 즐기는 전통 문화의 차이, 식량난의 영향, 불교문화의 쇠퇴 등을 들 수 있겠다. 일본어의 경우 손님 접대 시 간단한 茶와 茶菓子를 내거나, 식사를 대접해야 할 경우에도 일인용의 작은 상에, 적은 양을 보기 좋고 예쁘게 담은 요리를 대접하는 문화이다 또한, 에도시대의 250년간의 평화의 시기에 문화생활을 즐길 수 있었던 여유가 관용표현에 반영되어 있다. 이에 비해, 한국의 식문화는 ‘질’보다는 ‘양’이어서「상다리가 부러지게 차려야」하며, 특히 차보다는 술을 대접하는 것이 제대로 된 손님접대로 간주되었다. 따라서 ‘차 대접’만으로는 소홀한 대접을 받았다는 인상을 지울 수 없는 것이다. 이는 오랜 기간 전쟁과 가뭄 등으로 인하여 식량난을 겪으면서 질보다 양으로 먹는 습관, 자신의 밥그릇을 지키고자 하는 집념 등이 강해졌으며, 자신의 힘든 상황을 초래한 타인의 잘못에 대해 질책과 불만을 표현하고자 하는 욕구가 강했기 때문인 것으로 판단된다. 이러한 경향은 서민 문화인 줄타기 등을 통하여 나타나고 있는데, 가면이라는 익명성 위에서 지배층이나 세태를 비판하고, 자신의 불만을 분출시키고자 한 대중문화에서 그 일면을 볼 수 있다. 또한「물」이란 자연 속에서 공짜로 얻어 지는 것이며, 모양이 일정하지 않고 <무르다>라는 개념과「밥」은 <내가 마음껏 먹는 것>이라는 생각 등이 한국적 발상의 배경이 되었다고 판단된다. 한편 국민성을 나타내는 표현으로, 일본어의 경우「まな板の上の鯉」와 같이 내면의 감정 노출을 극도로 억제하려는 면이 강조되거나, 「火中の栗を拾う」와 같이 <무모하지만 많은 사람의 이득을 위하여 자신을 희생함>의 표현 등이 특징적이며, 한국어에는「번갯불에 콩 볶아 먹다」와 같이 급한 성격(せっかち)의 과장·확대표현이나, 「남의 제사상에 감 놔라 배 놔라 하다」의 <남의 일에 간섭하기> 등 부정적인 측면이 강조되는 표현이 발달하였다. 즉, 일본어의 특징은「魚」를 통한 세밀한 심리 묘사이며, 비유적, 교훈적, 그리고 은밀함으로 축약할 수 있다. 한편 한국어도 심리묘사가 발달하였으나 ‘확대·과장성’, ‘비난·비판성’, ‘타인에 대한 참견’과 노골적 표현 등을 들 수 있다. 다만 이러한 한국어 내포된 심리가 오늘날에는 역동성으로 작용하여 플러스 효과를 낳고 있음도 주목할 점이다. 이상으로 일한 양언어의 「飮·食관련 관용표현」의 소재와 관용표현에 내포된 의미를 분석하고 독특한 발상의 배경을 살펴보았다. 이를 토대로 양국어 상호간의 이해를 높이고 사용상의 오류도 줄여 갈 수 있으리라 생각된다.
本論文では、日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」を文化との関わりを中心に対照考察し、日・韓両言語の根本に潜んでいる発想やものの捉え方、そして対人関係及び共同体の意識を明らかにしようとした。「飲·食に関する慣用表現」を研究の対象にした背景は、「飲」と「食」は、人間が命を保つためには一日も欠かせない大切なものであり、「生計を立てる」すなわち、生き続ける為の手段と関わりを持つ表現であるため、その民族の根本的発想を窺うことができるということである。その上、食の文化とも深く関わっているため、その国の歴史を始め文化や風土の影響による特徴を知ることが出来るし、「飲」と「食」とは普通一人で営むことではなく、家族や親しい間柄同士で行うことが多いため、人間関係に関わる考え方や民族独特の共同体意識も知ることができる。 対照研究のための慣用表現は、日本語の場合は、佐藤理史と宮地裕(2006)による「円滑なコミュニケーションのための言語処理基盤に関する基礎研究」の慣用表現を基にし、韓国語の場合は、문금현(1997)などの資料を基にした上、慣用句辞典や国語辞典から慣用表現を補った。収集した日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」の総現れ数は日本語が224例、韓国語が184例であって、日本語の方が韓国語より多く現れた。 考察のカテゴリーとして、一次的に、「飲料部」「主食料部」「副食料部」の三つに大きく分け、二次的に「飲料部」を素材別に「水/물」「茶/차」「酒/술」とにし、そして「主食料部」は「飯/밥」と「餅/떡」、「粥/죽」「そば/국수」とに分類した。「副食料部」は素材が多いため「魚類」「肉類」「野菜·穀類」の三つに分けた。三次的には慣用表現の意味を分析し、「心理に関する表現」「態度·行動に関する表現」「状況·状態に関する表現」の三つに分類し対照考察を行った。四次的には、考察の便宜を図るため、慣用表現を意味によって「日·韓両言語の共通表現」、「日本語のみの表現」、「韓国語のみの表現」とに分けて考察した。下位カテゴリーとして、慣用表現の意味別にまとめ、提示した。さらに備考欄では素材の意味を示した。(ただし、素材の意味がはっきりしない場合は ー で示した) まず、収集した日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」の総数と素材別慣用表現の現れ数、そして順位を【表】で表すと、次のようである。 【表】で分かるように日本語の場合は、「水」と「魚類」そして「茶」と「酒」に関する慣用表現が韓国語よりもっとも多いところが特徴である。また「餅」と「飯」関連慣用表現が韓国語より少なく6位、7位の15例,14例に過ぎないことも特徴と言える。これに対し韓国語の場合は、「야채류」に関する慣用表現が一番多く、「밥」「떡」「죽」関連慣用表現が日本語より多い。ただし、「野菜類」の場合は、日・韓両言語において大差なく、「肉類」は両言語ともに慣用表現が発達していない。 細部の考察として、「飲料部」の日・韓両言語の慣用表現は「態度·行動に関する表現」にもっとも多く用いられている点と素材の表す基本的な意味は「心理に関する表現」から見られる点は共通であった。また、「飲料部」の「水/물」の項目をみると、日本語の「水」は「ありがたいもの」というイメージがあり、慣用表現では「水」は「他人」を表したり、「新しい職場・自分を取り巻く環境」を表している。その反面、韓国語の「물」には「つまらないもの」「ありふれたもの」というイメージがあり、慣用表現では「ばかにする」や「つまらない」という意味によく用いられている。しかし、水の性質(「流れる」「冷たい」「魚の生きる場所」)からの表現は日·韓両言語に共通点が多い。「水も漏らさない/물 샐 틈 없다」「水をかける/찬 물 끼얹다」の「防御と妨害」や「水を得た魚のよう/물 만난 고기」のように「生き生きとした働きぶり」を表す表現などがそれである。素材となる「水/물」の慣用表現のイメージは、日·韓両言語ともに異質感・邪魔・見栄・水商売などのマイナスイメージが強いと言える。相違点は日本語の場合、「水」は「水に慣れる」、「板に水」、「魚心あれば水心」、「水の滴るよう」(環境・流暢・愛情・美貌)などプラス的イメージの表現に多く用いられていることである。また、宗教から生まれた表現の「水を向ける」と「行水」、相撲からの「力水」、そして、水中競技からの「水をあける」など文化の影響を強く受けていることを改めて確認できた。その他、共通表現である「むだづかい」を表す場合、日本語は「湯水」を、韓国語は「水」を用いている。このことは日本は温泉が多く「湯水が豊富」な温泉文化に由来していると言える。また、韓国語の「물」の場合は、「물로 보다」「물 먹다」「물 태우/물 방망이」のように「脆い」水の性質を比喩した表現を用い、「馬鹿にする・やられる・優柔不断」などの意味に用いられることに特徴がある。 「茶/차」の場合、韓国語の「차」はほとんど慣用表現には用いられていないのに対し、日本語の「茶」は慣用表現に多く用いられている。これは日本語の「茶」関連慣用表現の特徴だと言えるだろう。そして「茶」関連慣用表現は、歌舞伎や能の幕間に行われた茶番劇(茶番狂言)などの伝統文化の陰から生まれたため(「お茶を濁す」も茶道ではなく茶番劇からの説がある。)「茶化す」「茶番(狂言)」「茶にする」「茶を挽く」「茶々を入れる」「お茶の子」など、「はぐらかす・ばかにする・暇を持て余す・話のじゃまをする・たやすくできる」を意味するなどマイナスイメージが強い。また、「茶腹も一時」や「番茶も出花」のように慣用表現の意味がプラスであっても「茶」は「たいしたものではない・つまらないもの」の意味を表すマイナスイメージとして用いられている。すなわち、韓国語の「물」のイメージと日本語の「茶」のイメージに似通ったイメージがあることが分かる。 「酒/술」は日本語の場合、「酒」は「茶」とは対照的なイメージを見せている。「酒」は「有りがたいもの」の意味があり、「盃をする」「盃をもらう」「盃を返す」のように儀式化という特徴の表現や「はしご酒」「迎え酒」「下戸」などの単なる比喩としての表現が多い。一方、韓国語の「술」を用いた慣用表現はマイナスイメージが強く、特に「盃を交わす」ことを意味する「수작(酬酌)을 부리다」の場合は日本語の「盃を返す」と動作は似てはいるものの、意味は「陰謀を図る・下手に企む・何かを密かに仕掛ける」の意味で用いられ、マイナスイメージが非常に強いのが特徴である。 「主食類部」の「飯/밥」に関する日・韓両言語の慣用表現の共通点は、「飯/밥」が「仕事」や「生計を立てること」、そして「苦しい境遇」を表すことからも分かるように「状況·状態に関する表現」が発達している。ただし、日本語の場合は「すし詰め」のようにマイナスイメージの表現もみられるが、他人に対する非難の意味はない。また、食文化の違いから「手弁当」と「밥통」の意味のずれが生じる。日本語の「手弁当」は、自分で弁当を作って持参する習慣から、「無報酬で働く・自腹をきる」の意味に転じたと見られる。一方韓国語の「밥통」の場合は「馬鹿」を意味したり、長い間の食糧難で苦しんだ経験から「밥통」「밥그릇」「철밥통」のように「仕事を表す俗語」や「仕事(飯の種)をめぐる争いや終身雇用を皮肉っぽく表す」といった極端的なマイナスイメージにまで派生している。さらに、日本語の「飯」とは違って、韓国語の「(내)밥이다」が「弱くて扱いやすい相手」を意味するところも韓国語の特徴である。 「餅/떡」を用いた表現は、「餅/떡」の元の意味が「めでたいもの、とても大切なもの」であるため、お祝いのための表現が日·韓両言語に発達している。さらに「餅代/떡값」の意味が「ボーナス」や「賄賂」の意味に派生した点と、「棚からぼた餅/굴러들어 온 떡」のように「思いがけない幸運」を意味する表現や「絵に描いた餅/그림의 떡」のように「欲しいけれど手の届かないものや人」を表す表現も共通している。しかし、日本語の「餅」は、「専門家」を表す「餅は餅屋」や美肌を表す「餅肌」などのプラスのイメージを持つ表現が主であるのに対し、韓国語の「떡」は「찰떡궁합」のように一部の表現を除けば「떡 주무르듯 하다」「떡 되다」など、マイナスイメージが非常に強い。その他、日本語の「餅」の場合は、視覚からの比喩が多いが、韓国語の「떡」は「よくくっつく性質」の感覚的で触覚による表現が多いという特徴がある。 「粥/죽」の日・韓両言語の慣用表現をみると、日本語の「粥」は「七草粥」と「小豆粥」のみで、「健康」と「幸せな一年」を祈る意味(正月七日に食べる)に止まっている反面、韓国語の「죽」の場合は「동지팥죽」を除けばほとんど類似点がない。「동지팥죽」の場合、食べる時期こそ日本語の「小豆粥」とは違う(12月22日頃)が、意味は同じである。しかし、韓国語の「죽」には「보리죽」「곤죽」「죽사발」などのように「貧しさ」を表したり、「죽」の形のように「酒に酔いつぶれる様」とか「ひどく殴られて倒れる」のようなマイナス的な意味を強く表している。 日・韓両言語の「年越しそば/국수를 먹다」の場合、「長く、健康で、幸せに」という意味は共通しているし、この意味は中国から伝わったものである。しかし、日本の「年越しそば」は、大みそかの夜、家族が揃って「来年も良い年でありますよう」と祈りを込めて食べるものであるが、韓国語の「국수를 먹다」は、結婚式で新婚の夫婦が「これから長く、幸せでいられますよう」という意味で食べることに違いが見られる。 「副食料部」の中の「魚類に関する慣用表現」を見ると、次のような結果になった。魚類に関する慣用表現の場合、日本語の慣用表現の現れ数は52例で韓国語は21例だった。また、日本語の素材は19種、韓国語は10種で、日本語の方がもっとも豊富(韓国語より約2.5倍)であった。魚類に関する慣用表現の場合、両言語ともに「心理に関する表現」が発達しているが、日本語は特に心理描写、主に教訓的な表現に大いに関わっていた。「魚」と「水」の関係を比喩する表現は、日・韓両言語の共通表現が見られた。日本語の「美味しく貴重な存在」を表す「鯛」も特徴的であるが、より特徴的な素材は「鯉」である。「鯉」は中国の故事の「登竜門」から「力強く、潔い」というイメージが伝わり、日本の「武士道」と結び付いて、「鯉の滝登り」から「鯉のぼり」、そして「まな板の上の鯉」に至っている。「釜中の魚」とは違い、自分が危機に晒されていることを充分承知しながらも、じたばたせず、潔く運命を受け入れ、運命に立ち向かうという意味に転じている。そして、「柳の下に二匹目の泥鰌はおらぬ」のような教訓的な表現や「ごり押し」「鯖を読む」「にべもない」のような魚の捕り方や数え方、性質を単に比喩した表現が多い。「貴重な存在」として日本語は「鯉」と「鯛」、韓国語は「준치」と「숭어」が使われている。その反面、「つまらないもの」に日本語は「泥鰌」「鰯」「さば」が用いられ、韓国語は「망둥이」「미꾸라지」「꼴뚜기」が使われている。韓国語の「魚類」に関する慣用表現の中で「美味しく貴重な存在」としては「준치」と「숭어」が使われているが、普段の生活でのイメージとは結び付かない。韓国語の特徴的素材は「미꾸라지」と「꼴뚜기」である。「미꾸라지」はつるつるした外見から「なかなか捕まらない・よく逃げ回る・ずるくて憎い」という意味がある。日本語の「泥鰌」には「つまらないもの」の意味はあるが、「野田内閣」を「泥鰌内閣」と自称するように韓国語のようなマイナスイメージは見当たらない。このように韓国語の「魚類に関する慣用表現」では「非難」や「批判性」のような強い表現が発達している。 「肉類に関する慣用表現」場合、日・韓両言語ともに発達していない。肉料理が盛んである韓国語の方も慣用表現が九つに止まっている。特に日本は殺生を禁止する仏教の影響と、島国という環境の影響で「魚類」に比べ「肉類」は極段に少ない。韓国語の場合、マイナスのイメージの強い表現が多いが、その強さは日本語よりも極端的で、特に「골탕을 먹다」には「やられた」という強い気持ちの現れで相手への非難性を帯びている。日本語の場合はマイナスイメージの強くない表現がほとんどであるが、「肉類」関連慣用表現からは珍しくマイナスイメージの強い表現が見られる。そのなかでも「鴨だ」と「鴨がネギを背負ってくる」のように、韓国語の「봉」と「밥이다」と意味の似ている表現や「骨までしゃぶる/등골을 빼먹다」のようなマイナスのイメージの強い表現がみられる。 「野菜·穀類に関する慣用表現」は慣用表現の現れ数からみると、日本語40例、韓国語43例で大差ない。ところが、素材の面では、日・韓両言語の共通の素材が8種、日本語のみのものが8種、韓国語のみのものが16種見られように、日本語より韓国語の方が素材が多様であり、豊富であった。特に目立った素材は「豆」と「콩(땅콩)」で、「豆」と「콩」を用いた慣用表現がそれぞれ10例以上見られる。韓国語の特徴は「호박/콩나물」で、「호박」は単独では「ぶす」という意味で使われるが、「호박이 넝쿨 채 들어오다」では「餅/떡」のように「幸運」を表す。一方、「콩나물」は日本語の「すし詰め」や「芋を洗うよう」と類似した意味と「音符」という固有の意味を持っている。また、慣用表現の現れ数は「状況・状態に関する表現〉行動・態度に関する表現〉心理に関する表現」の順であって、「野菜·穀類に関する慣用表現」は野菜類の性質による「状況・状態に関する表現」と多く関わっていた。そして、日本語の方は「ゴマをする」や「瓜二つ」のように目に見える現象をそのまま比喩に使う「視覚中心」の表現が多いのに対し、韓国語はある物事からの感じを比喩にした「感覚中心」の表現が多かった。また、国民の性格を表す表現として、日本語は「火中の栗を拾う」のように「無理を承知で自己犠牲的なこどをする」を表す表現が見られたが、韓国語は、「번갯불에 콩 볶아 먹다」や「남의 제사상에 밤 놔라 대추 놔라 하다」のような「せっかち・おせっかい」を表す表現が多かった。もう一つの特徴として、韓国語の場合は「보릿고개」「보리죽」「목구멍이 포도청」のように長い間苦しんできた食糧難から生まれた表現がいくつもあるのに対し、日本語にはこのような表現は見当たらなかった。日本の場合は海産物を多くお数に使っていたため、慣用表現に使われる野菜や穀類の素材は、韓国語より豊富でなかったようである。その反面、韓国の場合は食糧不足に苦しんだ歴史的背景から貧しさを表す表現が発達したと考えられる。 以上、韓国語の「飲」と「食」に関する慣用表現の特徴の背景として、まず「물」を「ありふれたもの」として認識し、形が定まらないことから「もろい・よわい人」を連想していることがあげられる。また、「밥」に関しては、客のもてなし方はまず「質」より「量」が重要視されていた。これは「膳の足が折れるようにいっぱい料理を出す(상다리가 부러지게 차리다)」という表現からも窺うことができる。いくら美味しいものを出しても量が少なければ、腹を空かせ、礼儀に欠けるとされていたことから「차」のもてなしは発達しなかった。その上、長い間、戦争や飢饉などで苦しんだ歴史の背景により、他人から自分の「밥통」や「밥그릇」を守らなければならなかったことから、「밥그릇 싸움」という表現が生まれたと思われる。自分の「밥그릇」とは違って、「他人」の安定した仕事を妬み、公務員のように「定年が保証される安全な職場」を皮肉っぽく言う「철밥통」という表現を産み出したように「他人」は競争相手だという認識があったようである。このような日本との相違点を産み出した要因として、客に対するもてなし方、それから仏教の衰退や文化生活との接触の機会の有無、食糧難などが挙げられる。 日本語の「飲」と「食」に関する慣用表現の特徴の背景として、自然に湧いてくる温泉の湯とは違い、「水」は「天からの貰い物」すなわち、大事にしなくてはならないものであるという考えが挙げられる。「茶」や「飯」の場合は、家を訪ねてきた客には茶と茶菓子を出すのは当たり前で、食事を共にするのは親しい間柄同士であることを示していた。また、「水」関連慣用表現には宗教の影響が見られるが、特に「副食料部」仏教の教えにより肉料理を好まなくなり、魚や野菜本位の食事を重んじ、仏教などの修業の一貫として茶を飲んだのが、茶道として一般庶民までが茶を楽しむようになった。さらに、江戸時代の250年間の平和な時代を通じ、庶民文化の発達で歌舞伎などの舞台芸術や相撲などに接する機会が多くなっていくと、このような舞台を楽しむために弁当やおにぎりを持参するようになった。その他、近代に入り水泳などの水中競技が盛んになってきたことなども日本語の慣用表現を豊かにし、イメージの決め手となったようである。このように、日本語の「飲·食に関する慣用表現」は、「肉類」や「茶」に関する慣用表現からは、マイナスイメージの表現が多くみられるが、全体的には価値観を含まず事実を単に比喩的に使うということにとどまっているケースが多い。また、韓国語の「飲·食に関する慣用表現」は、ある現象に自分の判断や価値観が投入し、他人を非難したり批判する表現が多くみられる。 以上から日・韓両言語の特徴を簡単にまとめると、日本語の表現は「比喩性․視覚性․教訓性․皮肉性․隠密性」だと言え、韓国語の表現は「拡張性(おおげさ)․感覚(触覚・嗅覚)性․非難性・批評性․皮肉性․露骨性」だと言える。 본 논문에서는, 일한 양국어의 「飮·食관련 관용표현」을 문화적 배경과의 관련성을 중심으로 대조 고찰하였다. 그 결과, 양 국어의「飮·食관련 관용표현」속에 깃든 민족의 정체성과 삶에 대한 인식, 인간관계 및 공동체 의식 그리고 국민성을 이루는 발상의 특징 및 배경 등을 밝힐 수 있었다. 고찰 대상으로는 飮·食관련 관용표현의 ‘飮料部’ ‘主食料部’ ‘副食料部’관련 관용표현으로 하였고, 세부적으로는 飮料部의 대상을「水/물」「茶/차」「酒/술」관련 관용표현, 主食料部의 대상은「飯/밥」「餅/떡」「粥/죽」「そば/국수」관련 관용표현, 副食料部는「魚類」「肉類」「野菜·穀類」관련 관용표현으로 하였으며, 이들 소재와 관용표현의 의미를 중심으로 대조 연구하였다. 수집한 飮·食 관련 관용표현의 전체 숫자는 일본어가 225例, 한국어가 184例로서, 전체적으로는 일본어가 발달해 있는 부분이라 할 수 있다. 특히, 일본어는「水」「茶」「酒」「魚類」관련 관용표현이 한국어 보다 발달하였으며, 한국어는「밥」「떡」「野菜·穀類」「죽」「肉類」관련 관용표현이 일본어 보다 발달하였다. 다만「野菜·穀類」와「肉類」관련 관용표현의 경우에는 일본어와 한국어 사이에는 뚜렷한 차이가 보이지 않는다. 먼저 관용표현의 소재별 발달 양상을 살펴보면, 차 문화와 공연문화, 운동경기 등의 문화적 배경과 전쟁과 가뭄으로 인한 식량난의 유무, 생선요리나 나물요리 등 副食料의 발달 양상에 따라 관용표현의 발달 양상도 상이하게 나타났다. 일본어의 경우에는 상위 부분에 「水」「魚類」「野菜類」「茶」의 순으로 나타나지만, 한국어의 경우에는 「야채류」「물」「밥」「떡」의 순으로 나타났다. 또한 일본어의 「餅」와「飯」의 경우 6, 7위로 나타나고 있다. 이와 같이「飯/밥」「茶/차」「魚類」관련 관용표현에서 수적 양상의 차이가 두드러지고 있다. 한편 일한 양국어의 「飮·食관련 관용표현」을 「심리 관련 표현」「태도·행동 관련 표현」과「상황·상태 관련 표현」으로 분류한 결과에서는 많은 공통점이 나타났다. 즉, 일한 양국어의 飮料部관련 관용표현은「태도·행동 관련 표현」과 가장 관련이 깊었으며, 主食料部관련 관용표현은 「상황·상태 관련 표현」이 발달해 있었다. 다만 副食料部의 경우에는 항목별로 다른 양상을 보였다. 魚類관련 관용표현은 주로「심리 관련 표현」이 발달하였으나, 野菜·穀類관련 표현은「상황·상태 관련 표현」이 발달해 있었다. 특히 일본어의 野菜·穀類관련 관용표현의 경우「심리 관련 표현」이 매우 적었으며(3개에 불과함), 한국어와의 공통표현도 찾아 볼 수 없었다. 이러한 항목별 특징은 소재의 기본 성질과,「찬밥/더운 밥」과 같은 처지의 표현, 물과 물고기의 관계와 물고기의 생태와 심리의 연관성 등의 영향을 받고 있기 때문으로 생각된다. 항목별 특징 중, 먼저 ‘飮料部’관련 관용표현의 특징은 다음과 같다. 첫째,「水/물」관련 관용표현의 경우, 일본어가 53例로서 한국어의 38例보다 관용표현이 풍부하였으며, 일한 양국어 모두 「태도·행동>상황·상태>심리」의 순으로 발달하였다. 따라서 태도·행동 관련표현에서는 물의 차갑고 흐르는 성질에서 <신이남><헛수고><방해>등과 기름과 섞이지 않는 성질에서 <이질적 존재>의 일한 공통표현이 나타나고 있었다.「水/물」관련 관용표현은 「태도·행동」관련 표현이 가장 활발하나, 소재인「水/물」의 기본의미는「심리관련 표현」에서 가장 잘 나타나고 있음을 알 수 있었다. 다만 일본어의「水」는 <소중하며 아껴야 하는 대상>이라는「심리」관련 기본 사상이 바탕이 되어 있으나, 기본의미는 「水入らず/水臭い」의 <타인>과「水に慣れる/水が合わない」의 <환경/직장>이라 할 수 있다. 이에 비하여 한국어의「물」은「물이다」「물수능」「물로 보다」의 <바보>와 <우습고 하찮은 존재>가 기본의미이다. 한편 일본어만의 독특한 표현으로는 종교적 의식에서의「水を向ける」「行水」, 수영 등의 수중 경기에서「水をあける」「水掛け論」, 씨름(相撲)에서「力水」,어업의 발달에서「水揚げ」, 풍부한 온천에서「湯水のように使う」등의 풍토와 문화를 배경으로 한 독특한 발상의 표현이 발달하였으며, 펌프 작동과 관련하여 <유도체, 계기>의「誘い水」가 보였다. 이러한 용법은 한국어의「물」관련 관용표현에서는 보이지 않았다. 한편 한국어의 「물」은 <흔함/공짜>라는 사상이 근저에 나타나고 있다. 따라서 대표적인 이미지는 「돈을 물처럼 쓰다」의 <흔한 것, 하찮은 것>, <타인의 우유부단한 행동을 비판/비난>하거나 수능 등의 시험 난이도가 매우 낮음을 비난하는 등 상대를 만만하게 생각하는 「물로 보다/물에 물 탄 듯 술에 술 탄 듯/물수능」등의 마이너스 이미지의 표현이 발달하였다. 플러스 이미지의 표현인「물이 좋다/물이 오르다/(외국)물 먹다」등에 내포된 의미도 생선이나 야채의 신선도를 나타내는 경우를 제외하면 ‘비꼼’의 의미를 담고 있는 경우가 많다. 따라서 상대 혹은 타인을 비난하거나 비판하고자 할 때 그 강도를 높이고 전달 효과를 높이려는 목적에 사용되는 경우가 많았다. 다만「우물」관련 관용표현에서는 「우물에서 숭늉 찾다」와 같이 <급한 성격>을 나타내는 마이너스 이미지의 표현이 있으나,「한 우물을 파다」의 <끈기/노력/ 인내>와「한 우물의 물을 먹다」의 <공동체 의식>등 플러스 이미지의 표현이 특징적으로 나타나고 있다. 둘째,「茶/차」관련 관용표현의 양상을 살펴보면 다음과 같다. 한국어의「차」관련 표현은「차례」를 비롯하여 3例에 불과 하여 양상을 논할 수는 없으며, 일본어 발상의 특징이 가장 분명히 나타나는 부분이었다. 한편 일본어의 「茶」관련 표현은 전체 23例 중 14例(약 61%)가 「태도·행동」관련 관용표현이며,「茶事」와「茶柱が立つ」를 제외하면 <우스꽝스러움><하찮음><어이없음><얼버무림> 등의 마이너스 이미지의 표현이 발달하였다. 이는 대부분의 「茶」관련 관용표현이「茶番狂言」에서 유래되어 한국어의「물」관련 관용표현과 유사한 의미를 나타내게 된 것이며, 茶道문화의 영향으로 플러스 이미지의 표현이 발달하였으리라는 예상에서 크게 벗어나는 결과였다. 한편 한국어의「차」는 <흔하고 하찮은 존재(다반사)>의 의미를 가지며,「박한 술」보다 못한 존재라는 마이너스 이미지를 가지고 있다. 이는 한국의 ‘상다리가 부러지게 차려내는 한국의 손님 접대 문화’의 영향으로 양이 적은 차 대접이 환영받지 못한 것과 관련이 있다고 생각된다. 셋째,「酒/술」관련 관용표현(일본어 20例, 한국어 9例)도「태도·행동 관련 표현」이 발달하였으며(일본어 68%/한국어 63%), 공통표현으로는 <쓰라린 실패>를 나타내는「苦杯をなめる/고배를 마시다」와「底抜け上戸/술고래」가 보일 뿐이다. 일본어의「酒」관련 표현은 플러스적 이미지가 강하여,「茶」와는 대조적이었다.「やけ酒」등의 마이너스 이미지의 표현도 있으나, <술의 이로움>(「酒は百薬の長」酒は憂いの玉箒」)을 표현하거나, <언약>을 의미하는「盃を返す/盃をもらう/盃をする」등과 같이 술 문화의 의식화(儀式化)를 통한 표현이 특징적으로 나타났다. 한편 한국어의 경우「杯を返す」와 유사한 동작을 표현하는「수작을 부리다」가 <음모를 꾸미다/몰래 나쁜 술수를 쓰다>등의 뜻으로 쓰이는 것과 같이 편안한 자세에서 술잔을 주고받는 술 문화에 의한 발상이 나타났다. 한편 한국어의 경우에는 관용표현의 수는 적으나, 마이너스 이미지가 매우 강한 복합어(「술독에 빠지다」「술고래」「맥주병」등)가 발달하였으며, 「박한 술이 차 한 잔 보다 낫다」와 같이 ‘차’보다 ‘술’을 선호하는 한국인의 손님 접대문화도 나타나고 있었다. 主食料部관련 관용표현의 특징을 살펴보면 다음과 같다. 전반적으로 한국어가 일본어 보다 2배 이상의 관용표현이 보이는 항목이며, 「餅/떡」관련 관용표현을 제외하면 「상황·상태」관련 표현이 가장 발달해 있다. 첫째,「飯/밥」관련 관용표현의 특징을 살펴보면, 「飯/밥」은 <생계> 혹은 <직업>과 <처지>를 의미하며 ‘먹는 것’을 대표하고 있다. 또한 「飯/밥」관련 관용표현에서, 심리표현의 <동지 의식>을 나타내는 「同じ釜の飯を食う/한솥밥을 먹다」, 상황·상태 관련 표현인 <처지/신세>의「冷や飯を食う/찬밥 신세」등과 <생계/직장/보직>의「飯を食う/밥을 먹다」「飯の種/밥줄(밥그릇)」등이 공통되고 있다.「飯の種」가 한국어의「밥줄」과「밥그릇」에 대응되듯, 일본어의「飯」의 의미는 <생계 수단>이라는 사실에 머무르고 있음을 알 수 있다. 일본어의 또 하나의 특징으로는, 배달 음식을 대표하는 초밥과 도시락 문화의 발달에서「鮨詰め」와「手弁当」를 들 수 있다. 이는 초밥이 꽉 차게 담긴 모양을 <만원상태>에 비유하거나, 도시락을 사지 않고 직접 만든 도시락을 지참한다는 뜻에서 <무보수>로 일함을 뜻한다. 이들 표현에서 비난과 비판의 의미를 찾을 수 없다. 이러한「飯」관련 관용표현의 특징에 일본의 식문화의 영향을 볼 수 있다. 한편 한국어「밥」의 의미적 특징은 심리관련 표현인, 상대방을 내가 마음대로 다룰 수 있는 <쉬운 상대>로 보는「(내) 밥이다」와 밥을 많이 먹는 사람을 비하하여 <바보>를 의미하거나 직장을 부정적으로 나타내는「밥통」에서 나타났다. 특히 「밥통」의 경우에는 의미의 파생이 활발하여 ‘자신의 밥그릇은 절대 빼앗길 수 없다’는 절박함에서「밥그릇 싸움」의 <보직(자리) 다툼>, 무슨 일이 있어도 <정년이 보장되는 직장>인 「철밥통」의 부정적인 표현까지 다양하게 파생되고 있으며, 마이너스 이미지가 점차 강해지는 방향으로 파생되었음을 알 수 있다. 또한 최근의 신문기사를 보면 「황금밥통」「은밥통」「플라스틱 밥통」등 직장의 안정성이나 대우의 수준을 나타내는 다양한「밥통」관련 표현들이 나타나고 있었다. 「목구멍이 포도청」과 같이 먹는 것의 절박함과「밥 안 먹어도 배부르다」와 「첫 술에 배부르랴」등 ‘배부름’, ‘입맛’의「입맛 떨어지다/입맛이다」등과 관련된 표현이 많은 것도 일본어에서는 볼 수 없는 특징이라 할 수 있다. 둘째,「餅/떡」관련 관용표현(일본어 15例, 한국어 22例)은 기본적으로「棚からぼた餅/굴러 들어온 떡」와「力餅·鏡餅/돌떡·차례떡」의 <행운/횡재(불로소득)>와 <축하>의 의미를 가지고 있으며, 특히 일본어의 경우 <횡재/행운>의 표현이 4例로 발달해 있다. 공통표현으로는 <횡재>를 나타내는 표현과 <보너스/뇌물>의「餅代/떡값」이 있으며, 일본어 특유의 표현으로는「금강산도 식후경」에 해당되는「花より団子」를 비롯하여,「焼く」와「妬く」의 음을 이용한 <질투>의「焼き餅を焼く」의 「심리관련 표현」이 발달하였다. 또한「餅肌」의 시각적 감각인 ‘희고 매끈한 피부’를 비유한 <예쁜 피부>와, 「餅は餅屋」의 <전문가>와 같은 플러스 이미지가 강하였다. 한국어의「떡」은 ‘잘 붙는 성질’ 혹은 ‘마음껏 주물러 자신의 뜻대로 모양을 만들 수 있다는 발상’이 중시되어 <환상의 콤비>를 나타내는「찰떡궁합」과 「합격 기원 떡」의 플러스적 의미로도 사용되지만, <횡포/전횡>의 마이너스 이미지의 의미로도 파생되어 있다. <매 맞다>의「떡되다」, <불로소득을 노리다>의「떡고물」, <남아돌다>의「떡치다」등의 표현은 타인에 대한 비난의 의미는 없으나, 타인으로부터 받는 부당한 대우, 혹은 타인을 자신의 뜻대로 다루려는 의도 등 일본어에서는 볼 수 없는 마이너스 이미지의 용법이다. 셋째,「粥/죽」의 경우, 일본어의「粥」는「七草粥」「小豆粥」와「동지팥죽」의 <액 막음> <건강기원>등의 기본의미에 머물고 있으나, 한국어의 「죽」은「동지 팥죽」을 제외하면,「보리죽/곤죽/식은 죽먹기/밥이 끓는지 죽이 끓는지 모르다」의 <가난> <엉망> <하찮고 쉬운 것> <무관심>의 마이너스 이미지가 강한 표현으로 파생되어 있다. 넷째,「そば/국수」의 경우, 일한 양국어의 관용표현은 「年越しそば/국수를 먹다」의 한例에 불과 하나, 사용빈도가 높은 표현으로서 <장수(오래)>와 <행복(건강)> 등이 기본의미로 널리 사용되고 있다.「そば」는「寿司」와 함께 일본의 대표적인 배달 음식이지만 관용표현으로는 발달하지 못하였으며, 한국어의 「국수를 먹다」는 오늘날 <장수/건강>이라는 기본 의미는 쇠퇴되어 <결혼하다>의 의미가 널리 사용되고 있다. 다음으로 副食料部관련 일한 양언어의 관용표현을 살펴보면 다음과 같다. 첫째,「魚類」관련 관용표현의 경우, 일본어가 한국어 보다 발달한 부분이며, 일한 양국어 모두「심리관련 표현」이 특히 발달하였다는 특징이 보였다. 이를 관용표현이 가장 많이 나타나는 순서대로 나열해 보면「심리>상황·상태>태도·행동」의 순이며, 태도·행동 관련 표현이 가장 적음을 알 수 있었다. 魚類관련 관용표현의 공통소재는「魚(うお/さかな)/(물)고기·생선」과「どじょう/미꾸라지」의 2종인 반면에 공통되지 않는 일본어만의 소재는 17종, 한국어만의 소재는 8종이었다. 즉, 일본어의 경우 매우 다양한 소재가 魚類관련 관용표현에 사용되고 있음을 알 수 있다. 한편 일본어의「魚(うお/さかな)」에서「うお」는 ‘물고기’의 총칭으로서 관용표현 속에서의 사용 빈도가 매우 높으며, 식재료의 의미인「さかな」는 <잡고 싶은 대상>인 경우에 주로 사용되고 있다. 한국어의「물고기」는 ‘잡는 행위와 관련되어 있는 표현에서는 주로 「고기」의 형태로 사용되며, 요리의 재료인 경우에는「생선」으로 사용되고 있었다. 또한 일본어의 경우, 실생활에서 즐겨 먹는 음식이나 생선의 이름이 많이 등장하고 있음에 비하여 한국어의 경우에는 음식 혹은 음식재료로서의 선호도와 관용표현의 소재 사이에서 연관성을 찾기는 어려웠다. 한편 일본어의 발상의 특징을 가장 잘 보여주는 생선으로는「鯉」를 들 수 있다. 「鯉」는 <힘참> <기개> <상승>과 <위기 상황에서의 의연함>을 나타내며,「鯛」는 <최고의 맛> <귀한 존재> <갖고 싶은 존재>이며,「鰻」는 <맛있는 존재> <힘참> <상승>으로 플러스적 의미를 가진다.「魚」는 ‘가지고 싶은 대상’ ‘놓쳐서 아쉬운 대상’ 혹은 ‘속수무책 무기력한 존재’의 표현에 주로 사용되고 있다. 여기서 가장 특징적인 것은「鯉」로서 중국 고사의「登竜門」에서 유래된 「鯉の滝登り」에서「鯉のぼり」로 이어지면서「鯉」의 ‘힘차고 기개 넘치는 존재’의 이미지가 형성되었다. 이와 관련되어 「俎上の魚」가「まな板の上の鯉」로 소재가 바뀌면서, <절체절명의 위기 앞에서도 허둥대지 않는 의연함>의 의미로 전환되고 ‘무사도 정신’과도 결부된 표현이 되었다. 한편 <하찮은 존재>에는「鰯」「泥鰌」「鯖」등이 있으나, 「泥鰌」와「鯖」는 <가지고 싶은 대상> <맛있는 존재>의 의미도 가지며, 삶의 자세에 대한 교훈적인 의미를 내포한 관용표현에 사용되고 있다. 한국어의 魚類관련 관용표현에도「준치/숭어」등 훌륭한 것에 비유되는 생선이 있으나, 실생활에서의 이미지로는 연결되지 않았으며, 고유의 이미지가 있는 경우에도 <얄미운 존재>의「미꾸라지」와 <부끄러운 존재>의「꼴뚜기」와 같이 타인의 행동을 비하하거나, 상대방을 비난하는 마이너스 이미지의 표현이 나타났다. 일본어의「泥鰌」에는,「野田内閣」를「泥鰌内閣」라고 하듯이 오히려 가라앉아 있는 현 상황을 휘젓는 <개혁>이라는 플러스 이미지의 용법이 나타나고 있다. 둘째, 肉類관련 관용표현의 경우, 대표적인 소재는「鴨」와「꿩」,여기에 한국어는「골탕」「갈비」등이 더해지고 있으며, 일본어의 경우 드물게 「骨までしゃぶる/등골 빼 먹다」와 같은 강한 마이너스 의미지를 가지는 표현이 나타나고 있었다. 「鴨」는 한국어의「내 밥」이나 「봉」의 의미를 가지며, 「鴨がネギを背負ってくる」와 같이 <횡재/행운>의 표현에도 사용된다. 한국어의 「꿩」은「鴨」와 같은 마이너스 이미지가 없으며, 「꿩 먹고 알 먹고」와 같이 <일거양득> <횡재>를 의미한다. 한편 일본어의「卵」는 <수련생/초보/수련의>의 의미를 가지며, 한국어의「계란」은 <무력한 존재>, 「骨/등골」은 <마지막 남은 능력/재력>을 의미한다. <처치 곤란한 존재>의 「鶏肋」은 한국어의 「계륵」과 동일하나(중국고사 유래) 일본어에서는 거의 사용되고 있지 않는 표현이다. 한편 ‘육류’관련 한국어 표현에는,「골탕을 먹다」라는 마이너스 이미지가 강한 표현이 보였다. 「곯다」와「골탕」의 발음의 유사성에서 유래되었으며 ‘타인의 조치에 대한 원망’이 내포되어 있다. 셋째, 野菜·穀類관련 관용표현은 일본어보다 한국어에서 관용표현과 소재가 풍부하게 나타나는 부분이다. 이는 나물요리가 발달한 한국의 식문화와 관련이 있을 것으로 생각된다. 한편 일한 양국어의 특징적인 소재는 「豆/콩」이다. 일본어의「豆」는 <작음/ 꼬마>라는 기본 의미에 머물고 있으며,「豆知識」의 경우와 같이 <작지만 알아두면 유익한 것> 혹은 「豆本」의 <작고 들고 다니기 편리함>의 의미에는 작은 것에 대한 부정적 시각이 느껴지지 않는다. 한편 한국어의 「콩/콩알」에는 <작음을 비웃음>의 의미가 있으나,「땅콩」의 경우에는 <작고 야무짐/두 개가 붙어 있어 작지만 실용적>이라는 플러스적 이미지가 나타났다. 일본어의「牛蒡抜き」는 ‘달리기’ 등에서 <앞지르기>를 의미하며,「牛蒡」가 뿌리가 얕아 <빼기 쉬운 상대>를 의미한다. <작고 야무진 존재>을 나타내는 표현에 일본어는「山椒」, 반대의 의미로는「大根」이 사용되고 있다. 한편 한국어의 경우 <작고 야무진 존재>에「고추」와「땅콩」이 사용되고 있으나 반대의 의미를 나타내는 소재는 보이지 않았다. 또한 「콩나물」은「すし詰め」와 같이 <빽빽하여 꼼짝할 수 없는 상태>를 나타내거나 <악보>를 의미하나, 이와 달리 일본어의 「もやし(숙주)」는 <영양 결핍으로 삐쩍 마른 아이>를 의미하여 일한 양국어의 발상의 차이를 엿볼 수 있다. 이외에도 한국어의 경우에는 「호박」과 같이 <못 생긴 여자> 혹은 <횡재>의 의미 등, 고유의 이미지를 가지는 ‘야채·곡류’관련 소재가 있으나, 「豆」를 제외한 일본어의 경우에는 소재의 고정된 이미지가 거의 보이지 않았다. 이상의 「飮·食관련 관용표현」의 의미 양상을 정리하면 다음과 같다. 첫째, 일본어는 「水」「茶」「魚類」관련 관용표현이 한국어보다 발달하였으나, 한국어는「밥」「떡」「죽」「野菜·穀類」관련 관용표현이 발달하였다. 둘째, 일본어는「茶」관련 표현을 제외하면 가치관이 개입되지 않은 단순 비유가 많으나, 한국어는 ‘비난·비판적’ 가치관이 개입된 표현이 주를 이루었다. 셋째, 일본어는「牛蒡抜き」「手弁當」와 같이 사실 묘사적이거나「柳の下に二匹目の泥鰌はおらぬ」와 같이 교훈성이 강하나, 한국어는「번갯불에 콩 볶아 먹다」「철밥통」과 같이 과장, 확대의 경향이 강하며, 마이너스 이미지의 확장성이 그 특징이라 할 수 있다(밥, 떡, 물 등). 따라서 한국어에서는 「飮·食관련 관용표현」을 사용하여 ‘비난·비판’의 의미를 최대한 강하고 인상 깊게 전달할 목적으로 신문 기사의 제목 등에서 흔히 사용되고 있었다. 넷째, 일본어 표현은 「瓜二つ・ゴマをする」와 같이 시각 중심적인 표현이 발달하였음에 비하여, 한국어는「깨소금 냄새가 나다」「굳은 땅에 물이 괴다」등과 같이 촉감, 후각 중심적 표현이 발달하였다. 다섯 번째, 일본어의 비유는 규모가 작고 은밀하나, 한국어는 규모가 크고 직선적이다. 예를 들면, 「猫に鰹節」의 경우 고양이에게 고양이가 좋아하지만 그다지 비싸거나 크지 않은「鰹節」를 맡기지만, 한국어에서는 ‘고양이에게 생선 가게’를 통째로 맡긴다는 비유를 사용하고 있다. 또한 며느리 괴롭히기(嫁いびり)의 경우에도, 일본어에서는 은밀하게 「秋鯖嫁に食わすな」정도로 싫은 감정을 노골적으로 나타내지 않는 경향이 보이나, 한국어에서는「집 나간 며느리」라는 표현에서 알 수 있듯이 며느리 구박이 노골적이었음을 알 수 있다. 여섯째, 한국어에는「보리 고개」「보리죽」「목구멍이 포도청」「가뭄에 콩 나듯」「입맛이다」등과 같이 오랜 기간의 식량난에서 생겨난 <가난>을 의미하거나 <먹는 것의 절대성>에 관한 표현이 많음에 비해, 일본어에는 먹는 것에 대한 집착의 표현은 보이지 않는다. 일곱째, 일본어의 경우 생선 요리의 발달과 더불어 魚類관련 표현이 발달하였으나, 육류요리가 발달한 한국어에서는 魚類관련 표현과 肉類관련 표현이 모두 발달하지 않았으며, 나물요리의 발달에서 野菜·穀類관련 관용표현은 풍부하였다. 여덟째, 일본어의 경우「歌舞伎, 茶道, 相撲, 武士道, 節句등의 年中行事」등 문화적 요소가 飮·食관련 관용표현에 반영되어 있으나, 한국어의 경우에는 계절적인 요소는 반영되어 있으나 주로 생계나 생활관련 표현이 주를 이루고 있다. 아홉째, 「花より団子/금강산도 식후경」「鮨詰め/콩나물 시루」「他人の飯は白い/남의 떡이 커 보인다」「塩辛を食おうとして水を飲む·捕らぬ狸の皮算用·沖のハマチ/남은 떡 줄 생각을 하지 않는데 김치 국물부터 마신다」「萌やしっ子/갈비」등과 같이 식문화의 차이에 의해 유사한 의미를 나타내는 경우에도 사용되는 소재는 달라지는 경우가 많다. 열 번째, 「まな板の上の鯉/도마 위의 생선」나 「水火を辞さない/물불 가리지 않다」등과 같이 표현의 형식이 흡사하나 양국어를 둘러싼 문화와 발상의 차이에 의해 의미가 달라지는 경우가 있다. 이와 같은 상이점의 요인으로, 오랜 역사와 풍토를 비롯하여 상차림 문화의 차이와 서민이 즐기는 전통 문화의 차이, 식량난의 영향, 불교문화의 쇠퇴 등을 들 수 있겠다. 일본어의 경우 손님 접대 시 간단한 茶와 茶菓子를 내거나, 식사를 대접해야 할 경우에도 일인용의 작은 상에, 적은 양을 보기 좋고 예쁘게 담은 요리를 대접하는 문화이다 또한, 에도시대의 250년간의 평화의 시기에 문화생활을 즐길 수 있었던 여유가 관용표현에 반영되어 있다. 이에 비해, 한국의 식문화는 ‘질’보다는 ‘양’이어서「상다리가 부러지게 차려야」하며, 특히 차보다는 술을 대접하는 것이 제대로 된 손님접대로 간주되었다. 따라서 ‘차 대접’만으로는 소홀한 대접을 받았다는 인상을 지울 수 없는 것이다. 이는 오랜 기간 전쟁과 가뭄 등으로 인하여 식량난을 겪으면서 질보다 양으로 먹는 습관, 자신의 밥그릇을 지키고자 하는 집념 등이 강해졌으며, 자신의 힘든 상황을 초래한 타인의 잘못에 대해 질책과 불만을 표현하고자 하는 욕구가 강했기 때문인 것으로 판단된다. 이러한 경향은 서민 문화인 줄타기 등을 통하여 나타나고 있는데, 가면이라는 익명성 위에서 지배층이나 세태를 비판하고, 자신의 불만을 분출시키고자 한 대중문화에서 그 일면을 볼 수 있다. 또한「물」이란 자연 속에서 공짜로 얻어 지는 것이며, 모양이 일정하지 않고 <무르다>라는 개념과「밥」은 <내가 마음껏 먹는 것>이라는 생각 등이 한국적 발상의 배경이 되었다고 판단된다. 한편 국민성을 나타내는 표현으로, 일본어의 경우「まな板の上の鯉」와 같이 내면의 감정 노출을 극도로 억제하려는 면이 강조되거나, 「火中の栗を拾う」와 같이 <무모하지만 많은 사람의 이득을 위하여 자신을 희생함>의 표현 등이 특징적이며, 한국어에는「번갯불에 콩 볶아 먹다」와 같이 급한 성격(せっかち)의 과장·확대표현이나, 「남의 제사상에 감 놔라 배 놔라 하다」의 <남의 일에 간섭하기> 등 부정적인 측면이 강조되는 표현이 발달하였다. 즉, 일본어의 특징은「魚」를 통한 세밀한 심리 묘사이며, 비유적, 교훈적, 그리고 은밀함으로 축약할 수 있다. 한편 한국어도 심리묘사가 발달하였으나 ‘확대·과장성’, ‘비난·비판성’, ‘타인에 대한 참견’과 노골적 표현 등을 들 수 있다. 다만 이러한 한국어 내포된 심리가 오늘날에는 역동성으로 작용하여 플러스 효과를 낳고 있음도 주목할 점이다. 이상으로 일한 양언어의 「飮·食관련 관용표현」의 소재와 관용표현에 내포된 의미를 분석하고 독특한 발상의 배경을 살펴보았다. 이를 토대로 양국어 상호간의 이해를 높이고 사용상의 오류도 줄여 갈 수 있으리라 생각된다.
주제어
#飮·食관련 관용표현 飮料部 관련 관용표현 主食料部 관련 관용표현 副食料部 관련 관용표현 비교언어문화학 대조연구
학위논문 정보
저자
김계연
학위수여기관
韓國外國語大學校 大學院
학위구분
국내박사
학과
일어일문학과
지도교수
林八龍
발행연도
2012
총페이지
viii, 248 p.
키워드
飮·食관련 관용표현 飮料部 관련 관용표현 主食料部 관련 관용표현 副食料部 관련 관용표현 비교언어문화학 대조연구
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